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2009年8月28日 (金)

最強の文書伝道者

内村鑑三著『一日一生』(教文館刊)を新版で読んでいる。今でも全く通用し、読める本になっている。しかし、思えば、内村鑑三という人は幕末に生まれ、昭和5年に死去した、もう相当昔の人物である。こんなにも長く、その文章が読まれている人物は、近代日本のキリスト教史の中では、他に例がないと思う。文書伝道の観点からは、傑出した成功者であろう。

かつて、最高裁長官を退官した藤林益三さんにお会いしたことがある。勤務先の銀行の一室であった。その時、藤林さんは自分の後ろの本棚から、岩波書店が刊行を始めたばかりの、内村の初出の文章ばかりを集めた全集の一冊を取り出して、「全部、集めるつもりです」と、ニコニコしながら話してくれた。しかし、この本を、あとで開いたところ、今の人にはとても読めない文章だと思った。しかし、内村の文章は今も読まれているのである。その影響の大きさを思わずにはおれない。

私は、息子さんの祐之さんには会ったことがない。しかし、祐之夫人、美代子さんには、一度だけ美代子さんの自宅でお会いしたことがある。この美代子さんも、内村の文章が今の人にも読めるように、仮名遣いなどで、貢献したという。多くの人たちの協力の中で、内村の文章は今も多くの人たちの心に福音を伝えている。この現実をどう考えたらいいのだろうか。

それにしても、彼が終生、学び続けた聖書は、これもまた、とつてもなく古い本である。聖徳太子よりも昔に出来た本である。古いけれど新しい、この絶対矛盾的自己同一の洞察に超越の踏み台があるのかも知れない。超越とは救いと言い換えてもいい。

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