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2009年9月29日 (火)

太陽

早朝の 東天に浮く 燃える玉
 情熱を持て 生きるためには

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2009年9月28日 (月)

ウェスレーの妻

髪掴み 夫困らす 妻のさま
 何を思うか ウェスレー黙す

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築山殿

築山を 思う家康 身の不幸
 信長に行く それが因かと

「身の不幸」は、「家康の身」です。

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2009年9月27日 (日)

直下型地震

直下型 地震のビデオ 見て思う
 命はかなし されど備えを

「命はかなし」は「いのち はかなし」の意味。池袋防災館に直下型地震の被害を伝えるビデオがあります。備えを呼びかけていますが、同時に、我々の命は、いつ終わるか分からないという現実を常に意識すべきと思います。

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2009年9月25日 (金)

十字軍

十字軍 教え公認 さかのぼる
 戦い勝利 願い込めてか

コンスタンチヌスの回心は、キリスト教の公認をもたらしたが、同時に、戦争での勝利とも結びついている。十字軍は中世の現象だが、十字の印で戦いに勝ったコンスタンチヌスの故事との関係はあるのだろうか。

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2009年9月22日 (火)

実存の風

人に実存を意識させる風は、どこから吹いてくるのだろうか。それは最後の審判から吹いてくるのである。その前に立って、人には二種類の問いが投げかけられている。一つは、自分は救われるのか、それとも滅びるのだろうかとの問い。もい一つは、与えられたタラントに対する果実として、十分に勘定が合っているかどうかという問いである。これらに対応して、二種類の不安が人を襲う。したがって実存の風も、二種類あるのだと思う。

前者には義認が必要であり、後者には聖化の完成が必要である。ルターは前者の重要性を訴えたが、それは無視できないことである。しかし、カトリックには後者への意識が強く、それを受けてか、ウェスレーは後者への配慮を重視したと言えよう。これも無視は出来ないことである。そして、最近は使われなくなったが、煉獄の思想は、特に後者に関係していると思う。それは聖化の道を全うせよという促しであるようにも思える。

最後の審判は未来の出来事であるといっても、われわれは、その予感を知っている。それが実存の風ではないだろうか。もし、人が実存の風を感じたら、その意味が何であるかを、よく考えるべきである。

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2009年9月20日 (日)

『一日一生』

内村鑑三の『一日一生』を食事の時に読んでいる。そのあと、簡単な感謝の祈りをする。毎日の聖句随想では、スポルジョンの『朝ごとに』『夕ごとに』を読んだことがあったが、内村の『一日一生』の方が日本人にはよいのではないだろうか。この本は、古い本なのだけれど、キリスト教の書店では、よく見かける。それだけよく読まれているということであろうか。そう思いつつ、内村の影響の深さ、広さに、改めて驚くと共に、やはり、この人が近代日本の最強の文書伝道者であったと、つくづく思わずにはいられない。そして、文書伝道のあり方の一つとして、このような聖句随想があってもいいのではないかと思った。むしろ、その方が日本人の心の深くに入っていくのではないだろうか。こんな形で、信徒レベルでの文書伝道が広がっていったら、日本人信徒の信仰の健全さ、強さに大きく貢献できるであろうと思う。

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2009年9月18日 (金)

裁き

生ける者と死せる者とを裁きたまわん。単純な理解では、生ける者とは今、生存している者、死せる者とは今、生存していない者の意味であろうか。そう理解している人が多いと思う。
しかし、聖書では、生と死とは、霊的な生、霊的な死を意味する場合もある。その理解に立てば、今、肉体において生きている人全部の意味になるかも知れない。どちらが正しい理解であろうか。しかし、いずれにしても裁きはすべての人に及ぶということには変わりない。
そして、最後の審判ということが言われている。その絵がある。普通、この絵の出来事は未来と考えられている。再臨があり、審判があるというように。
しかし、聖霊降臨から再臨までの期間、その間にも審判はあるかも知れない。いや、今も、現代の歴史もまた、神の審判の最中なのかもしれない。最後の審判は未来のことではなくて、今も進行中のことという信仰があってもいいかも知れない。

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最後の審判

まだ来ない 審判の時 安心だ
 見方変えれば 進行中だ

歴史家のランケには、歴史と神との関係への洞察があったと思う。世界史は神による世界審判の歴史かも知れない。

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2009年9月16日 (水)

希望

後の世の 変貌楽し そのカギを
 今持つことの 幸い無限

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2009年9月15日 (火)

憲法のこと

明日、新しい政権が誕生する。政権交代には賛成である。日本の課題が、政権交代のたびに議論され、日本の使命も新たに認識される機会となるであろう。電車の中吊り広告を見れば、週刊誌は新しい権力者たちのスキャンダル探しに懸命のようだが、私には、そんな趣味はない。

さて、日本の使命を考える時、憲法がそのよい材料になるだろう。

憲法は、日本の安全保障について、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記している。日本の安全と生存の根拠として頼るのが、「平和を愛する諸国民の公正と信義」であるという。「諸国民」だけではなくて、「平和を愛する」という限定に、いくらか救われる思いがする。平和を愛さない人たちもいるように思われるからである。

そして、そのあり方を翻訳、解釈すれば、それは国連中心主義となるかもしれない。しかし、国連は武力を否定してはいない。国連主導の多国籍軍もある。だから、憲法9条の字面における絶対非戦主義は、そこでは機能しないのではないかという危惧もあるかも知れない。

また、日本の安全保障に関しては、その他の選択もある。日米同盟である。これは、現実の選択になっている。しかし、日米同盟は憲法との関係から、問題にされてきたし、これからもそうだろう。もし、憲法が最高法規であれば、日米同盟は、憲法違反かも知れない。そういう思いはあったし、今も、そう思っている人たちはいるだろう。しかし、日米同盟の根拠である条約は、憲法の下にあるのではない。だから、憲法違反という判断は当らないという理解が通用している。

要するに、現実の政治世界にあっては、日本の憲法は理想主義的すぎるのである。絶対非戦主義で、政治を行うことが出来るのだろうか。

憲法9条は何を目指しているのだろうか。それはキリストの再臨を目指していると思う。しかし、それは信仰上の事柄であり、それを政治の世界に適用するには、どこか無理がある。現実の政治では、共産党も9条を守れという。この点では、キリストとマルクスの共闘が成り立つのだろうか。どこか、おかしいのではないだろうか。

絶対非戦主義で思い出すのは、内村鑑三である。もし、彼が生きていたら、現在の日本の立場をどう見るであろうか。自分の主張が日本の立場になっていると知って、さぞ驚愕するであろうか。憲法の精神を生かすためには、どうしたらよいのだろうか。国連、米国、それらとの連携の中で、日本の安全を保持するという現実路線ではなくて、その真の狙いは、キリストの再臨を指しているという指摘をするかも知れない。現実の政治の世界の中では、絶対非戦主義というものは、それ以外に考えられないと思われるのである。再臨の時、その国(神の国)に戦争はない。戦争はやむ。その来るべき国との関係の中でのみ、絶対非戦主義は成り立つとすれば、日本は、その憲法において、そのような国の到来を暗示しているのではないだろうか。

かつて、京都大学の故武藤一雄教授は、憲法の神的起源を思いつつ、小冊子を作られたことがあった。そういう関連を考えるのは、キリスト者のみであろうが、その責任を誰が担っているのだろうか。

政権交代のこの時、憲法について考えてみるのは無意味なことではない。

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2009年9月13日 (日)

殉教

江戸時代のキリシタン殉教者の列福式が行われた。殉教者の信仰に見習おうという呼びかけもあった。その人たちの信仰をどうすれば得られるであろうか。再臨信仰の中でのみ、それが可能であるように思われる。

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伝道とは何か

宣教・伝道の最初の言葉は何であろうか。「悔い改めて、福音を信ぜよ」と人は言うかも知れない。しかし、イエスの場合は、そうではなかった。「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ」であった。「悔い改めて、福音を信ずる」理由は、「神の国が近づいた」からである。この関係に着目すべきであろう。そして、この言葉は、再臨の時まで、繰り返し継続されていくのである。しかし、イエスの時と同様に、この言葉を理解する人は今も少ないように思われる。

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二重予定のこと

一人が救われ、九十九人が滅びても、二重予定の神の正義が失われることはない。しかし、全部が救われたり、全部が滅びるなら、それは二重予定の神の義は成り立たない。二重予定の神とは、イエスの話と現実を観察した時の論理的結論を意味しているのではないだろうか。

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ヤコブ書のこと

わざによる救いは、新生・義認に対応しているのではなく、聖化・栄化に対応しているのであろう。それぞれのわざに応じて、報いをもって来られると言う。

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2009年9月11日 (金)

教会の課題

古屋安雄氏の近著に『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』(教文館)がある。キリスト者で同じような疑問を持つ人は多いと思う。その中で、著者は、日本キリスト教団の紛争にふれて、「教会派」と「社会派」との対立を分析している。的確に語られていると思った。そして、「神の国」という包括概念における解決案を提起されている。バルトの言葉の引用もある(189-190頁)。

「教会は国家に、神の国を想起せしめねばなりません。神の国こそ、究極の、そして包括的な現実なのです。教会が国家に対して想起せしめることは、本来的な国というものは、神の国であることをやめない国であり、それはキリストにおいて建てられ、聖霊において現在的であり、来るべき啓示そのものにおいて明らかになるものです」
「神の国とは包括的な概念なのです。私は教会が神の国を宣べ伝えると言いたいのです。…神の国という終末論的な概念が先にあり、次いでその現実的な内容として、罪の赦しにおける神の義が来るのです。…単なる正義ではないのです。…私は定式化して言うならば、教会は神の国と義と戒めを宣べ伝えると言いたいのです」
(『カール・バルト著作集』第7巻、312,317-318頁)

紛争の渦中にあった古屋氏にとって、これがご自身の解決案なのだろう。私は、この「神の国」に再臨信仰を付加したいのである。バルトの引用を思うと、同じようなことを指摘しているのであるが、「神の国」という、どちらかというと、静的イメージが、再臨というと、動的な要素が加わると思う。人間が歴史的存在である限り、未来を思わざるを得ない。その要素を信仰に生かすものが再臨信仰なのである。神の国は、かつてあり、今もあり、そしてやがて来る。その「やがて来る」に着目する時、そこに再臨を考えざるを得ないのである。再臨信仰の更新、これが、私にとっての教団紛争の解決案である。

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植村正久氏のこと

植村正久と内村鑑三との関係はよくなかった。一方は教会主義、他方は無教会主義で、視点を変えれば共同戦線を張っているのだけれども、人間的には対立しているように見える。植村には、内村への共感、理解は少ないと思うが、内村は、植村を評価していたと思う。

植村は大正14年1月8日、急病で亡くなった。内村は、同じ柏木にある植村家に弔問に行ったという。『身近に接した内村鑑三 下』(石原兵永著、山本書店)の、この部分は、何も抵抗もなく読んだ。しかし、晩年、柏木に住んでいたとは思わなかった。ということは、柏木という場所は、内村、中田、植村と、日本のキリスト教のリーダーたちが集まっていたのである。

しかし、そのあとに、不思議な記述がある。

著者は、内村から、こんなことを聞いたのだという。

「植村正久先生が召される朝、祈って言ったとのことである。
「神様、もし私が他人の仕事の妨害になるような事をしようとしているならば、私を取って下さい。」
と。その夜氏は召されたとのこと。氏は最後に柏木に教会を作ろうとしつつあったという。これをきいて内村先生が言われた。
「ほんとうにぞっとする様である。神はあまりにも偉大である。」」
(『身近に接した内村鑑三 下』92頁参照)

今、柏木には、日本キリスト教会柏木教会がある。そこで植村環牧師の姿を見たことがある。この教会が、植村正久の最後に作ろうとしていた教会なのだろうか。そして、植村の意図の中には、この教会を通して、内村との「対決」の意思があったのだろうか。内村の言葉には、そんなニュアンスが含まれているように思えるのだけれど。

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2009年9月 9日 (水)

内村再読

再臨運動への関心から内村の日録(鈴木範久著)のまだ未読の巻と『身近に接した内村鑑三 上・中・下』(石原兵永著、山本書店)三冊を読んだ。非常に面白かった。多くのことを教えられた。

内村は、自分の信仰を、ある時はルターと、ある時はカルバンと、そして、ある時は組合主義と同じと言っている。また、晩年はカトリックに反対していたが、若い時は、カトリックへの共感も感動的な文章で綴っていた。

教会信者になった時には、これらの共感は、その教会の制約の中で控えなくてはならないのではないだろうか。しかし、無教会であれば、諸教会を横断するように、それらへの共感を表明することができるのかも知れない。そう思えば、内村と、あるいは無教会と教会一致についても、何かテーマとしてありうるのかも知れない。

内村鑑三の文章は、これからも長く読み続けられていくのだろうと思う。以前、「内村は近代日本の最強の文書伝道者」と言ったが、その感を強くしている。

また、内村と石原氏との出会いは、後世に生きる私にとっては、実にありがたいことである。石原氏が新宿の無教会系の勉強会に出て、何か話されたことを覚えている。講演ではなくて、自分の意見を言われた。また、ご自宅を一度、訪問したかも知れない。しかし、余り、影響を受けたことはない。それよりも、『身近に接した内村鑑三』の著者として、石原氏も永く記憶されていくのだろうと思う。そういえば、著者も、また本を出した山本七平氏も、そして、内村に洗礼を授けたハリス監督も青山学院とは関係がある。そして、内村の信仰も、実験的信仰というところは、メソジストと同質のように思われた。ある意味で、内村の無教会とは、メソジストと組合主義を両輪として展開していったようにも思える。キリスト教の本質論を考えようとする時、内村鑑三という人物を無視することはできないように思う。

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2009年9月 8日 (火)

予定の教理と再臨信仰

予定の教理は再臨信仰と関係がある。共に終末に関する事柄である。自らの救いに関する予定への不安から倫理的生活と、この世での富と成功を通して、予定の確証を得ようとした、あのウェーバーの描くピューリタンたちは、ある意味で再臨信仰に生きた人たちにも見えるが、違うのではないかと思う。

本当の再臨信仰は、聖化体験の勝利の徹底、公然化を求めるものであり、そこに、予定への不安はない。予定への不安というものは、むしろ、義認への問いなのではないだろうか。

そもそも、予定の確証などというものがあるのだろうか。それを求めるのであれば、救いの結果にではなくして、原因にこそ、求めるべきではないだろうか。そして、その原因は義認(新生)であり、そこから生まれる聖化である。聖化は義認の結果であり、また予定の原因とならなければならない。予定の確証を求める意識は聖化を無視してはならないのである。予定の確証を現在進行形の聖化体験の外に求めることは間違いではないのだろうか。そして、予定の確証を求める意識が聖化体験と交差した時、そこに再臨信仰が生まれるのだろうと思う。

再臨信仰は、人生の謎のすべてに回答を得ようとする意識ともふれあう。その意味では、再臨信仰は特別なものではなくて、キリスト者の日々の信仰なのだと思う。

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2009年9月 6日 (日)

カレンダー

カレンダー 管理を知らず 老いの口
 悔いは残るが 今から始む

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2009年9月 2日 (水)

エキュメニズムと再臨信仰

教会一致運動(エキュメニズム)は、最初、プロテスタント教会で始まり、カトリック教会も第二バチカン公会議で自らの課題として取り組むようになった。しかし、なかなか進展しないとの嘆きが「エキュメニズムは冬の時代」の言葉にも表れていた。協力関係を広げていくのであれば、そんなに難しいことではないが、「目に見える一致」というのは、もっと踏み込んだものを目標にしているように思う。

ところで、この教派主義の克服は、日本に伝えられたプロテスタントの初期から、その課題が意識されていた。公会は、その一つの対応であった。そして、内村鑑三も、札幌での青年時代から、その弊害を感じるようになった。無教会は、その課題への対応、回答の一つかも知れない。内村は、再臨信仰の中に、その課題の達成を見たのかも知れない。「再臨信仰の実験」という題で、『聖書之研究』(1919年1月)に載ったものには、宗派の問題が再臨信仰の中で、その回答を得られるという趣旨が述べられている。これは、いわゆる再臨運動開始の年、大正7年(1918年)11月10日、東京神田青年会館での再臨大会における講演内容である。

この面から再臨信仰を再検討してみたら、それは教会一致運動に新たな示唆を与えるのではないだろうか。エキュメニズムも昭和40年代の第二バチカンの終わったころからの新しい課題ではなく、日本では既に大正時代にも、意識されていたのである。

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2009年9月 1日 (火)

聖潔と再臨

ウィリアム・ロー(1686~1761)という英国国教会司祭の名前を、ジョン・ウェスレーの生涯の中で、はじめて知る人は多いと思う。著書には、『キリスト者の完全』(1726)、『敬虔にして聖なる生活への召し』(1728)などがある。

ローの著書の邦訳が三冊ある。『ウィリアム・ローのキリスト者の完全』(マービン・D・ヒンテン編、棚瀬多喜雄訳、いのちのことば社、1987)、『ウィリアム・ローのキリスト者の聖潔』(マービン・D・ヒンテン編、棚瀬多喜雄訳、いのちのことば社、1988)、『厳粛なる召命』(蔦谷茂夫訳、福音文書刊行会、1997)である。

それらには、聖化の道を歩む上での生活の仕方に関する提言などがあり、参考になるが、再臨がとりあげられているかと思って探してみたが、なかった。聖化論と再臨論との結びつきはあると思うのだけれど。

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