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2009年9月22日 (火)

実存の風

人に実存を意識させる風は、どこから吹いてくるのだろうか。それは最後の審判から吹いてくるのである。その前に立って、人には二種類の問いが投げかけられている。一つは、自分は救われるのか、それとも滅びるのだろうかとの問い。もい一つは、与えられたタラントに対する果実として、十分に勘定が合っているかどうかという問いである。これらに対応して、二種類の不安が人を襲う。したがって実存の風も、二種類あるのだと思う。

前者には義認が必要であり、後者には聖化の完成が必要である。ルターは前者の重要性を訴えたが、それは無視できないことである。しかし、カトリックには後者への意識が強く、それを受けてか、ウェスレーは後者への配慮を重視したと言えよう。これも無視は出来ないことである。そして、最近は使われなくなったが、煉獄の思想は、特に後者に関係していると思う。それは聖化の道を全うせよという促しであるようにも思える。

最後の審判は未来の出来事であるといっても、われわれは、その予感を知っている。それが実存の風ではないだろうか。もし、人が実存の風を感じたら、その意味が何であるかを、よく考えるべきである。

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