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2009年9月11日 (金)

植村正久氏のこと

植村正久と内村鑑三との関係はよくなかった。一方は教会主義、他方は無教会主義で、視点を変えれば共同戦線を張っているのだけれども、人間的には対立しているように見える。植村には、内村への共感、理解は少ないと思うが、内村は、植村を評価していたと思う。

植村は大正14年1月8日、急病で亡くなった。内村は、同じ柏木にある植村家に弔問に行ったという。『身近に接した内村鑑三 下』(石原兵永著、山本書店)の、この部分は、何も抵抗もなく読んだ。しかし、晩年、柏木に住んでいたとは思わなかった。ということは、柏木という場所は、内村、中田、植村と、日本のキリスト教のリーダーたちが集まっていたのである。

しかし、そのあとに、不思議な記述がある。

著者は、内村から、こんなことを聞いたのだという。

「植村正久先生が召される朝、祈って言ったとのことである。
「神様、もし私が他人の仕事の妨害になるような事をしようとしているならば、私を取って下さい。」
と。その夜氏は召されたとのこと。氏は最後に柏木に教会を作ろうとしつつあったという。これをきいて内村先生が言われた。
「ほんとうにぞっとする様である。神はあまりにも偉大である。」」
(『身近に接した内村鑑三 下』92頁参照)

今、柏木には、日本キリスト教会柏木教会がある。そこで植村環牧師の姿を見たことがある。この教会が、植村正久の最後に作ろうとしていた教会なのだろうか。そして、植村の意図の中には、この教会を通して、内村との「対決」の意思があったのだろうか。内村の言葉には、そんなニュアンスが含まれているように思えるのだけれど。

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コメント

御文面から察するに、内村鑑三は植村正久の柏木進出に反感を抱き、ひそかに植村の死を願っていたということですか?

投稿: 河童土器亜 | 2013年10月29日 (火) 17時11分

真意は、今の私にはよく分からないです。柏木教会と内村のいた所は、そんなに離れていません。内村の住居の近くにホーリネス教会の東京聖書学院もあります。内村と中田は協力できたのですが、内村と植村とは難しかったと思います。

投稿: | 2013年11月10日 (日) 20時11分

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