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2009年9月 9日 (水)

内村再読

再臨運動への関心から内村の日録(鈴木範久著)のまだ未読の巻と『身近に接した内村鑑三 上・中・下』(石原兵永著、山本書店)三冊を読んだ。非常に面白かった。多くのことを教えられた。

内村は、自分の信仰を、ある時はルターと、ある時はカルバンと、そして、ある時は組合主義と同じと言っている。また、晩年はカトリックに反対していたが、若い時は、カトリックへの共感も感動的な文章で綴っていた。

教会信者になった時には、これらの共感は、その教会の制約の中で控えなくてはならないのではないだろうか。しかし、無教会であれば、諸教会を横断するように、それらへの共感を表明することができるのかも知れない。そう思えば、内村と、あるいは無教会と教会一致についても、何かテーマとしてありうるのかも知れない。

内村鑑三の文章は、これからも長く読み続けられていくのだろうと思う。以前、「内村は近代日本の最強の文書伝道者」と言ったが、その感を強くしている。

また、内村と石原氏との出会いは、後世に生きる私にとっては、実にありがたいことである。石原氏が新宿の無教会系の勉強会に出て、何か話されたことを覚えている。講演ではなくて、自分の意見を言われた。また、ご自宅を一度、訪問したかも知れない。しかし、余り、影響を受けたことはない。それよりも、『身近に接した内村鑑三』の著者として、石原氏も永く記憶されていくのだろうと思う。そういえば、著者も、また本を出した山本七平氏も、そして、内村に洗礼を授けたハリス監督も青山学院とは関係がある。そして、内村の信仰も、実験的信仰というところは、メソジストと同質のように思われた。ある意味で、内村の無教会とは、メソジストと組合主義を両輪として展開していったようにも思える。キリスト教の本質論を考えようとする時、内村鑑三という人物を無視することはできないように思う。

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コメント

組合主義への共感は、ベンジャミン・A・ミラード著『組合主義』を読んだ感想と共に語られている。「組合主義の起源が全然無教会主義であったことが判明る」ともいう。(『身近に接した内村鑑三 下』石原兵永著、山本書店、90-91頁参照)

投稿: | 2009年9月11日 (金) 10時10分

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