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2009年10月13日 (火)

井上筑後守政重

Rimg0280 文京区の小日向にキリシタン屋敷跡がある(写真)。関心はあったが、訪ねたことはなかった。しかし、最近、その屋敷跡に行った。二つの碑が立っているだけであった。

ここは、江戸幕府の大目付、井上政重の下屋敷だった所で、ここでキリシタンの尋問、処刑が行われた。

牢は正保3(1646)年に建てられたという。1637-38年の島原の乱の5年後、来日したイタリア人宣教師を江戸・小伝馬町の牢に入れて、その後、ここに牢や番所まで作って、キリシタンたちの牢屋敷になったともいう。しかし、1724年の火災にあい、その後、寛政4(1792)年、宗門改役(キリシタン奉行)は廃止された。

ところで、井上政重は、井上筑後守政重ともいう。1632年に大目付になり、島原の乱の鎮圧に参加、1640年に宗門改役を兼ねて、キリシタン弾圧の中心人物になった。

しかし、井上は、もとキリシタンであったという。キリシタン大名、蒲生氏郷に仕えた時にキリスト教を信じたが、1614年に禁教令が出て、教えを捨てた、浪人し、仕官を求めていた時に棄教したという。

蒲生氏郷(1556-1595)という人物は、満39(あるいは38)歳で死去している。なんと若いことか。信長、秀吉の側にあり、キリスト教に入信し、洗礼名はレオンといった。1590年の小田原征伐で功績があった。34歳の時であろうか。そのため、その後、会津の殿様になった人だ。会津にいたのは、5年くらいのものであろうか。その時の家来が井上だったのかも知れない。であれば、井上も会津に関係があるのかも知れない。

さて、その井上は、言ってみれば「転び」であったのだ。だから、その教えについても、よく分かっていたのだろう。その矛盾についても。

遠藤周作は、この井上や、転んだ外国人神父などを題材にして、小説『沈黙』を書いた。しかし、井上を主人公にして、その論理、心理を書いたら、どうだろうか。遠藤に、その意図はなかったのだろうか。遠藤の後継者の登場が待たれるのである。

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コメント

キリシタン屋敷に、女蔵があったのではないかという記述があります。

参照=http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/thetwilight47/view/20070207

それにしても、井上という人物は、どういう人であったのか。

投稿: | 2009年10月13日 (火) 13時20分

遠藤周作の『沈黙』で有名になった転び宣教師、フェレイラは、最後は、信仰を持っていることが分かり、承応元年(1652)、72歳で、キリシタン屋敷内の刑場で処刑されたという記述がありました。

フェレイラには、悩みが深かったように思います。

参照=http://www2.odn.ne.jp/mumyo/diary/part05.htm

投稿: | 2009年10月13日 (火) 16時52分

こんな言及がある。

「一説によると彼は転びキリシタンであったともしているが江戸大橋周辺に住んでいた頃、江戸のキリシタン寺に関係していたのであろうか。キリシタンについてはかなりの知識があったらしい」
(聖母文庫『江戸キリシタン山屋敷』高木一雄著、142頁)

井上筑後守を主人公にした小説があれば、面白いのではないだろうか。

投稿: | 2009年10月20日 (火) 11時04分

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