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2009年10月14日 (水)

日の丸・君が代・天皇制

日曜日のお昼ごろ、四谷のカトリック教会の周辺が騒がしかった。日の丸の旗が何本も立ち並び、拡声器で抗議している人がいた。時々、「わっー!」という喚声があがって、道行く人の足を止めていた。周囲は警察官が取り囲んでいた。拡声器からは教会への批判も聞かれた。歴史上の、よく知られた教会の「罪」の糾弾がなされた。信者も、白人の「奴隷」といった位置づけで語られた。あの、信長・秀吉・家康時代の教会の位置づけが、そのまま踏襲されているような気もした。

日の丸・君が代・天皇制は、日本のキリスト教会としては、なじまないテーマかも知れない。戦争中のことを考えれば、これらの名前によって、戦争に駆り出され、多くの人たちが死んでいったからだ。当時、反対できなかったという反省の中で、教会は、日の丸・君が代・天皇制に呑み込まれない立場を作ろうとしているように思う。

しかし、今、戦前・戦中とは違う体制になっている。天皇制も象徴天皇制で、天皇は国民統合の象徴とされている。そんな中で、日の丸・君が代も、新しい解釈が可能なのではないだろうか。

日の丸は太陽をかたどっている。太陽の光と熱を思う。それは人間存在の絶対必要条件ではないだろうか。神と、どこか通じるものがありそうでもある。日本人は、この太陽に着目したということは、そこに自然神学的な神がいてもいいのではないだろうか。それはまた真の神の象徴でもある。そこに連続と非連続もある。太陽の光と熱、それを全世界に供給する使命、それが日本の使命ではないだろうか。太陽の光と熱は、日本人のためばかりではない、それは世界のためでもある。そう思いつつ、「我は日本のために、日本は世界のために」といった内村鑑三を思い出した。内村の愛国心の対象であった日本に、少し近づいたかとも、思った。そして、そんな日本のイメージは、賀川豊彦にはなかったようにも思う。賀川の方が、世界的には有名かも知れないけれど。

長部日出雄さんの近著『「君が代」肯定論 世界に誇れる日本美ベストテン』(小学館新書)を読んだ。共感した。右翼ではない、右翼になろうとも思わない。しかし、日の丸・君が代・天皇制を右翼にばかり任せたいとも思わない。右翼とは別のスタンスで、それらにコミットしたい。政権が交代し、新しい国家像が求められている、この時、日の丸・君が代・天皇制は、もう一度、取り上げられなければならないテーマとなりつつあると思う。

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コメント

日本の使命

日の丸の 光と熱を 世界にと
日本の使命 気づくは遅く

投稿: | 2009年10月16日 (金) 13時01分

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