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2009年11月30日 (月)

日本の預言者

日本の預言者というのは内村鑑三のことである。彼の文章は今でも熱心に読まれている。その中に、次のような言葉がある。

「日本はアジアの試験場である。あたかもギリシャがヨーロッパの試験場であったように。ヨーロッパの未来がギリシャによって決せられたように、アジアの未来は日本によって決せられるのである。日本人の採用する制度と、その開発する宗教と哲学と芸術とが、ついに東亜全体に普及し、永くその模範となって人類半数以上の運命を支配することになるのは、ソロン、フィジアス、プラトンらの事業が西洋文明の基礎を定めたようなものである。だから知る、私たち日本人の責任は、わずかに同胞四千万の安全幸福にのみとどまらず、ヒマラヤ山以東に住む蒼生五億余の将来に関するものであることを。この重大な責任のあることを知る者にとって、どうして軽佻浮薄であることができようか」(新版『一日一生』、11月29日、教文館、340頁)

西洋文明におけるギリシャの位置づけは重要である。西洋中世も、ギリシャの要素なくしては生まれなかった。そのようなギリシャの位置が、やがて日本にも与えられるであろうというのである。

われわれが学んでいるキリスト教は、西洋からのものであろう。そこには、ギリシャの哲学・思想が混じっている。我々にギリシャの前提はない。だから、キリスト教を学ぶということは、直接、ヘブライ思想のみではなく、ギリシャも学ばなければならない。そこに一つのためらいがある。

吉満義彦と遠藤周作との出会いと、遠藤の吉満に対する疑問もまた、そこにあった。しかし、そのような重大な疑問は、いつしか忘れられていった。今も忘れられている。しかし、内村は、そこに一つの回答を与えていたのであった。

ここに書かれている内村の「預言」のように事が運ぶかどうかは、知らない。しかし、こういう目で、キリスト教を見直してみるのも、無意義であるとは思われないのである。

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