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2010年1月31日 (日)

女性の二面性

イエスの母マリアへの祈りが天使祝詞である。しかし、マリアは神でもないし、救い主でもないし、女神でもない。ただ、イエスへの関係の中で、特別の存在である。

マリアを思う時、それはイブとの関係の中で考えるべきではないだろうか。そこに、女性の二面性を洞察することができる。女性は滅びへのきっかけでもあり、また救いへのきっかけでもある。その一方のみを見る時、女性を誤解することになるのだろう。女性の中には、マリアもいれば、イブもいるのだから。

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2010年1月29日 (金)

大きな物語

大きな物語を考えよう。その中に、個々の現実を組み入れよう。新しき中世も、そんな大きな物語の一つではないだろうか。

中世とは何か。歴史的中世は、ユダヤ、ローマ、ギリシャの総合であった。新しき中世は、その総合の中に、インドを入れなければならない。そう考えれば、カトリックの神父さんたちで、仏教研究家は多いが、知らず知らずに、この物語を作っているのかも知れない。

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2010年1月25日 (月)

再臨の時日

内村鑑三は、「余がキリストの再臨について信ぜざる事ども」(1918年2月『聖書之研究』)の中で、「余はキリストが何年何月何日と時日を定めて再臨したもうとは信じない」といっている。かつて、日本の外でも、さまざまな再臨運動があったが、中には、再臨の時日を定めていたものもあった。しかし、その時が来て、再臨がなかった。そんな過去の事例を反省しての言葉であったかも知れない。

再臨の時日を定めないということは、イエスの言葉でも言われている。ただ、その時は父だけが知っているという。

しかし、再臨の時日を定めないということは、再臨信仰にとってはありがたいことである。なぜか。「再臨は明日」という期待をもつことが許されているからである。もし、時日が定められていれば、その時が来るまでは、再臨はないことになる。

「もし、明日、再臨があるとしたら」、その前提の中で、今日を生きることが許されている、その中に再臨信仰の本当の意味があるのだと思う。

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2010年1月24日 (日)

再臨運動

内村鑑三、中田重治、木村清松らによる再臨運動は長くは続かなかった。最初に戦線を離脱したのは木村であった。内村の牧師批判のためという。大いにありそうなことである。中田は、その後も、内村と協力していたが、今度は内村のほうが、運動から身を引いてしまった。その理由には、内村の回顧を読めば、ホーリネス派との違いを強く意識したことが挙げられるかも知れない。

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2010年1月22日 (金)

文化内開花

第二バチカンの方針の中に、文化内開花というものがある。カトリックの神父で、仏教に造詣の深い人たちが現れた。この文化内開花の精神は、日本で言えば、内村鑑三の発想を承認したということだろうか。ということは、カトリックと無教会との対話が求められているのではないだろうか。しかし、この面での成果は、今までのところ余りないように思う。

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2010年1月20日 (水)

四重の福音

四重の福音という言葉は、ホーリネス教会で使われている。それは信仰の要となる四つの教理のことで、新生・聖化・神癒・再臨を指している。ホーリネス系の教会の中には、新生・聖化の二つを強調するものもあり、それでもいいと思っていたが、やはり再臨は必要である。

近代日本で、再臨信仰を強調したのは内村鑑三であった。ホーリネス教会の中田重治も、内村の呼びかけに呼応して、再臨運動に参加した。内村が、この運動の中で、どんな主張をしていたのか、当時の『聖書之研究』を読み返してみたいと思ったが、『内村鑑三信仰著作全集13 最後審判 再臨 復活 来世』に、重要な文書が収められていると思う。

内村が再臨運動を提唱し、展開したのは、わずかな期間ではあったが、これによって、彼は、近代日本における忘れられない重要なキリスト者になったのだと、私は思う。他に、このような人物はいないからである。再臨について、その重要性を指摘していたのは、内村のほかには、中田重治がいたが、彼が、どんな主張をしていたのか、参考資料が手に入らない。その点でも、内村の資料はすぐ入手できるので、再臨というと、内村の「研究」を参照しないわけにはいかない。

再臨は、聖化の過程の中で、やがて捉えられていく信仰なのだと思う。そのことも、内村は指摘していた。全集には、教えられる点が多い。

中田重治の信仰は、四重の福音といわれるが、新生・聖化・再臨については異論はない。神癒に関しては、どういう理解なのだろうか。

内村は、「私は神癒を信じない」という。しかし、聖霊の賜物の中に、癒やし(神癒)はある。四重の福音の「神癒」とは、そのいくつかの聖霊の賜物の中の一つである「癒やし」を信じるという意味なのだろうか。そう受け止める人もいるかも知れないが、全体がそうではないとも思える。

多くの中の一つである「癒やし」への信仰の表明であれば、他の賜物である異言、預言などを、その一つを信じるといっても、同じことではないだろうか。聖霊の賜物の中の一つ「癒やし」だけを、特に取り上げる必要は、どこにあるのだろうか。

しかし、神癒信仰というものを広く捉えて、「聖霊の賜物への信仰」と解釈すれば、ペンテコステ運動、またその教会への理解も深まるのではないだろうか。たとえ、自分には、そのような賜物の一つが与えられていなくとも、それは信仰の欠くべからざる要素ではないと考えれば、それでいいのではないだろうか。

それは聖霊の働きに教会が目覚める点で大いに意味がある。しかし、それはやはり目標ではない。目標は再臨であり、再臨以外にはない。聖霊の賜物の理解において、教会同士の相互批判があっても、それを超えるのは再臨信仰であろう。

もちろん、再臨信仰においても一致があるとは限らない。内村の時と同様に批判があるかも知れない。しかし、そういう意識が教会の中に生まれるのであれば、日本の教会は大いに活性化されるであろう。

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2010年1月15日 (金)

弁証法の見方

ヘーゲルの  弁証法を 眺めつつ
  楕円真理と 対なのかもと

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行為の意味

信仰義認を強調するマルティン・ルターによって、「わらの書簡」と言われたヤコブ書だが、本当に価値のないものなのだろうか。問題は行為の捉え方にあるのだろう。どんな行為も神の義には届かない、従って救いの条件とはならない。その点では、ルターに同意する。しかし、行為は報われると聖書はいう。その報いは新生、義認に関連してではなく、再臨に関連して語られているのではないだろうか。そこには矛盾はない。

プロテスタントは初代教会に帰ることを目指したが、その再臨信仰にまで戻ったであろうか。内村鑑三は、そこまで戻ったのである。この点でも、彼が「第二の宗教改革」を目指す志を理解することができる。

再臨の時に、ある人たちを主はとがめられた。与えられた金を土の中にしまった人たちのことである。どういう人たちなのだろうか。水の洗礼は受けたが、新生に導かれず、従って聖化、栄化、再臨の信仰に至ることなく、主の再臨を迎えることになった人のことではないだろうか。

再臨信仰は、行為を誘発する。イエスの初臨の時には、学者たちが、イエスに会い、その前に捧げものを置いた。その捧げものが、行為なのではないか。手ぶらでイエスに会うわけにはいかない。その思いが、行為に向かわせるのではないか。

去年のクリスマスの時、説教は、ひとこと、再臨に触れた。初臨と再臨、その比較をもっとすべきではないのだろうか。再臨のキリストは、きっと、ユダヤ人たちが待ち望んでいたメシアなのだろう。

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2010年1月13日 (水)

置換神学

置換神学とは、ユダヤ民族の特権は教会が相続して、既にユダヤ民族の使命は終えているという考え方である。イエスの出現において、ユダヤ民族の使命は終えているという見方であって、聖書にも、そんな考え方を支持する個所もある。しかし、ユダヤ民族の使命は、まだ終わっていないという見方もある。

内村鑑三は「万民にかかわる大いなる福音」(信仰著作集13所載)の中で、キリスト再臨に当たって、人類を三種に分類している。クリスチャン、ユダヤ人、異邦人である。クリスチャンと非クリスチャンとの二種ではなくて、ユダヤ人を加えて三種に分類している。この点では、内村は置換神学ではなかったのである。再臨に関して、ユダヤ人の使命を重視していたのである。

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2010年1月11日 (月)

再臨信仰とエキュメニズム

以前、再臨信仰とエキュメニズムの関係を指摘したことがあった。再臨信仰なくして、どうして教会一致は前進できようか。しかし、教会一致運動の前提には、再臨信仰は掲げられていない。その行き詰まりは目に見えていると思う。

この洞察を持っていた人が内村鑑三であった。彼は、1919年1月の『聖書之研究』に掲載された「再臨信仰の実験」で、こう言っている。

内村鑑三は「余のきらいしものにして宗派のごときはない」という。しかし、再臨信仰を持ってから、聖公会の司祭を自宅に迎えることができたという。「まことに再臨の信仰は宗派を超越せしむるのである」という。続けて言う。

「余は宗派に属する人に向かって、これを脱せよとは一言も勧めない。そのままにて可なりである。この信仰この希望を共にせんか、宗派なんぞ顧みるに足らん。心の深き所において真正の合同が成立するのである」

「合同せんと欲する者よ、われらのごとく再臨の福音に来たれ。委員会を開きて可否を投票するに及ばず、新聞に広告して人の意見を問うを要せず、条件を定めて評議を凝らすを要せず、ただ再臨のキリストを信ぜよ。主は一つ、信仰一つ、望み一つなるに至って、人の作り得ざる真正の合同はおのずから成立するのである。合同問題解決の秘鍵はここにある。この点より見て、また一つの大なる使命の、われらにかかれるを知るのである」

(以上、『内村鑑三信仰著作集 13』教文館、参照)

教会一致運動に関心のある人たちは、内村の、この指摘を忘れることはできないであろう。それに反対する人たちも、再臨に反対することはできないであろう。

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2010年1月10日 (日)

弔辞・遺言運動

小学生のころ、友だちの家で、お葬式ごっこといった遊びをした。私は死者になった。少し涙が出た。この遊びは長く忘れていたが、意識の底に眠っていた。こんな遊びも死を思うきっかけになるかも知れない。

子どものころ、死は怖いものであった。死の彼方が分からなかったからである。不安という意味の怖さと言ってもいいかも知れない。

映画「おくりびと」が注目された。葬儀やさんの物語である。肉体の死をめぐる物語である。しかし、肉体の死は、キリスト教的に言えば、魂の死への警告としての意味を持っている。そして、その意味を知らせることができた時、肉体の死の役割は終える。

生きることと死ぬことは切り離しえない。生きることを求めていても、人はやがては誰もが死ぬのである。この事実に目をつむることは出来ない。そのために、お葬式ごっこも、映画「おくりびと」も意味があるかも知れない。

「死を忘れるなかれ」が、その目的である。そして、その中から、生きることの意味を探ろうというのである。その時、何が現れてくるのだろうか。それは弔辞・遺言運動と言ってもいいのかも知れない。

今、司馬遼太郎さんの小説がテレビ放映されているが、司馬さんの活動もまた、その本質は、弔辞・遺言運動ではなかったろうか。

弔辞は、過去の死に対する言葉である。遺言は、未来の生に対する言葉である。この死も、この生も、ともに対象化されている。死について語り、生について語る、それは一つのこととしてつながっている。生だけを語ることも、死だけを語ることも間違いである。

多くの言葉が氾濫していても、死と生とのつながりを意識していないところで語られる言葉は、パスカルに思いをはせれば、所詮、気晴らしの類ではないかと思う。

弔辞・遺言運動、それはまた、「新しき中世」を志向する活動の本質でもある。

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2010年1月 4日 (月)

厭離穢土欣求浄土

以前、戦いに臨む徳川家康の幟に書かれていた「厭離穢土欣求浄土」について書いたことがあった。しかし、その時は、この言葉の由来が分からなかったが、その由来は、源信の『往生要集』なのだという。これは全十章から成り、第一章が「厭離穢土」、第二章が「欣求浄土」となっているという。徳川家康の幟だけではなく、他の武将たちも、この言葉を使っていたのかも知れない。ただ、家康の場合のみが、よく知られているのかも知れない。

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2010年1月 3日 (日)

再臨運動の総括

内村鑑三は、再臨運動をどう考えていたのだろうか。亡くなる前年の5月15日に書かれ、1930年4月の『聖書之研究』に載った記事に、その総括がある。「再臨再唱の必要」である。彼の最後の言葉はよく知られているが、この記事も遺言のようなものである。そこには、かつての再臨運動の総括と更なる継続への訴えがある。
彼は、かつて「第二の宗教改革」と言っていたが、歴史の弁証法的発展を考えれば、それは、中世と近世・近代との総合としての「新しき中世」の創造と受け止めてもよいのではないだろうか。そこに、再臨運動の目指すべき目標があるのではないだろうか。

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待つ

主を待つ者は新たなる力を得る、というイザヤ書の有名な言葉がある。それは再臨を待つことにも適用できるように思う。その待つは、ただ呆然と待つ意味ではないと思う。待つことが、待つ人たちの行動を誘発する、そんな待つのように思う。

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2010年1月 1日 (金)

十字架の信仰

義認、新生に十字架の信仰は必要である。贖罪の信仰がそこにある。しかし、十字架の信仰は、それで終わりであろうか。聖化の段階でも、十字架の信仰が言われるとすれば、それは、世に死ぬこと、それを、自らもまた、十字架にかかることとして理解されたものであるかも知れない。

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再臨信仰

再臨は公的な事柄である。教会の歴史で、公的要素の強かったのは、中世であった。近世、近代に至り、宗教の私的性格が強く意識されてきた。再臨信仰は、それへの反省の意味もあろう。近代の最先端で、近代を批判する者は、歴史的中世に回帰するのではなくして、新しき中世を志向するのでなくてはならない。近代を批判した内村鑑三も、あるいは、そんなところに位置しているのかも知れない。
それは、宗教における公的要素を、どう理解し、また取り入れるかという課題かも知れない。その課題の中で、歴史的中世を回顧してみれば、それは理性であり、ギリシャであったという洞察が得られるかも知れない。宗教は、今、理性を、ギリシャを再考することが求められているのであろうか。

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