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2010年1月25日 (月)

再臨の時日

内村鑑三は、「余がキリストの再臨について信ぜざる事ども」(1918年2月『聖書之研究』)の中で、「余はキリストが何年何月何日と時日を定めて再臨したもうとは信じない」といっている。かつて、日本の外でも、さまざまな再臨運動があったが、中には、再臨の時日を定めていたものもあった。しかし、その時が来て、再臨がなかった。そんな過去の事例を反省しての言葉であったかも知れない。

再臨の時日を定めないということは、イエスの言葉でも言われている。ただ、その時は父だけが知っているという。

しかし、再臨の時日を定めないということは、再臨信仰にとってはありがたいことである。なぜか。「再臨は明日」という期待をもつことが許されているからである。もし、時日が定められていれば、その時が来るまでは、再臨はないことになる。

「もし、明日、再臨があるとしたら」、その前提の中で、今日を生きることが許されている、その中に再臨信仰の本当の意味があるのだと思う。

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