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2010年1月11日 (月)

再臨信仰とエキュメニズム

以前、再臨信仰とエキュメニズムの関係を指摘したことがあった。再臨信仰なくして、どうして教会一致は前進できようか。しかし、教会一致運動の前提には、再臨信仰は掲げられていない。その行き詰まりは目に見えていると思う。

この洞察を持っていた人が内村鑑三であった。彼は、1919年1月の『聖書之研究』に掲載された「再臨信仰の実験」で、こう言っている。

内村鑑三は「余のきらいしものにして宗派のごときはない」という。しかし、再臨信仰を持ってから、聖公会の司祭を自宅に迎えることができたという。「まことに再臨の信仰は宗派を超越せしむるのである」という。続けて言う。

「余は宗派に属する人に向かって、これを脱せよとは一言も勧めない。そのままにて可なりである。この信仰この希望を共にせんか、宗派なんぞ顧みるに足らん。心の深き所において真正の合同が成立するのである」

「合同せんと欲する者よ、われらのごとく再臨の福音に来たれ。委員会を開きて可否を投票するに及ばず、新聞に広告して人の意見を問うを要せず、条件を定めて評議を凝らすを要せず、ただ再臨のキリストを信ぜよ。主は一つ、信仰一つ、望み一つなるに至って、人の作り得ざる真正の合同はおのずから成立するのである。合同問題解決の秘鍵はここにある。この点より見て、また一つの大なる使命の、われらにかかれるを知るのである」

(以上、『内村鑑三信仰著作集 13』教文館、参照)

教会一致運動に関心のある人たちは、内村の、この指摘を忘れることはできないであろう。それに反対する人たちも、再臨に反対することはできないであろう。

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