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2010年3月 7日 (日)

再臨主

統一教会(世界基督教統一神霊協会)の文鮮明氏を再臨主という言葉で呼ぶ人がいた。そこには、イエスの事業の失敗により、その使命を文氏が継承したという解釈があった。そのイエスの事業の失敗という言い方が、一般のキリスト者には異様に聞こえた。

普通は、再臨は初臨の失敗により要請されているのではなく、その完成のためではないだろうか。初臨の「成果」は聖霊降臨である。この宗教体験の中で、イエスの復活、昇天も受け入れられるのではないだろうか。そして、この点を中心に考えれば、イエスの事業は失敗ではなく、成功したのであろう。だから、一般の教会と統一教会との間には、再臨解釈の違いがあるのだろう。

再臨問題をめぐって、いくつかの教派が生まれている。セブンスデー・アドベンティスト教会、ものみの塔などである。統一教会も、再臨問題への、ひとつの解釈の中で生まれたといえるかも知れない。これらの教派は、ある意味で、再臨解釈を一般の教会に問うているのかも知れない。

しかし、統一教会は、ある意味ではイエスの意識を持っていたのかも知れない。キリスト教会へのアプローチ、そして教会が自分たちを受け入れることへの執着、そこには、イエスがユダヤ人たちへ福音を宣教した初臨の時の活動と思いが重ね合わせられているのであろうか。諸教会が統一教会を受け入れる中に、イエスの時に失敗した神の摂理の成就を見ていたのであろうか。

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