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2010年3月15日 (月)

中世と千年王国

教皇が皇帝の上に位置している中世の原理の中に、サタンを抑えつけるという千年王国の本質があるのではないだろうか。近世の初め、その発展としての近代の中に、なにか人が神のようになるという蛇の誘惑への受諾があったのではないか。
カトリックへの改宗者にとって、中世は無視できないだろう。その時、古い中世への回帰を志向するよりも、新しい中世を求める方がよいと思う。中世回帰か、それとも中世創造か、このあたりの誤解が、遠藤周作と吉満義彦との対話の中にあったかも知れない。
歴史的中世とは文明の総合であった。近世とは、その解体、分解の過程であった。新しき中世とは、再び、歴史的中世の目指した総合志向である。そんな目で、現代日本を眺めれば、その第一人者は、創価学会の池田大作氏であるかも知れない。
池田氏が、世界の著名人と対話を重ねていることは、大いに評価できることである。しかし、これは日蓮の教えに沿っているのだろうか。なぜなら、日蓮の教えの排他的性格は、むしろ原理主義的に思えるからである。そんな思いも感じている。

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