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2010年4月 2日 (金)

統一教会のこと

世界基督教統一神霊協会(統一教会)のことを、最近、少し考えている。その信仰は、少し先走り過ぎたのではないかと、私は思う。「再臨」のキーワードで、検索すると、そこには、統一教会の「教え」が出ている。再臨に関連した、同教会の「教え」である。

普通のキリスト教は、その見解までは踏み込まないのだと思う。その直前でとどまっていると思う。その直前の信仰で、初めて、全教会への「メッセージ」が生まれ、教会もまた、耳を傾けざるを得ないことになるのだろう。内村鑑三たちの再臨運動は、そこにとどまっていたと思う。

再臨は、全キリスト教会の信仰個条であり、それを否定する教会はない。だから、その問題は、全教会の問題である。それが問題となっていないのは、教会が眠っているからである。その眠りを覚まそうとした、その点に関しては、統一教会を評価することができようが、その再臨信仰は少し、先に行き過ぎたように思う。要するに、教会の終焉を宣言していて、教会からの支持を受けようとしていたのである。終焉はあってもいいが、そこには、完成、自己実現といった要素が必要である。それは聖霊の証しによるのであろう。しかし、統一教会には、それが感じられなかった。だから、教会からの拒絶反応にあったのではないだろうか。

内村の場合も、当時からその再臨信仰への拒否反応があった。しかし、再臨運動は今でも意味を失っていない。失っていないどころか、そのことを通して、内村は、近代日本のキリスト者群像の中では、誰よりも重要な人物として覚えられることになったのではないだろうか。なぜなら、再臨は必ずある、未来に必ず実現する、その信仰は、教会の中でなくならない。そして、教会の歴史が続く限り、その信仰は、教会の希望の中心にあり続けるだろう。そこに、内村の名前が刻まれているのである。だから、内村の名前は、誰よりも長く、いや教会が歴史の中を歩み続ける間、ずっと覚えられることになるのである。そう思いつつ、近代日本の最も重要なキリスト者は内村鑑三という名前であったと、私は改めて痛感している。

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コメント

色々なメッセージを楽しく、時には考え込みながら読まさせていただいています。
じつは、私は統一教会の長年の会員です。また、内村鑑三の思想と信仰の共鳴者です。
ひそかに内村の研究者、理解者たらんとする者です。
聖オーガスチイン、ベルジャーエフ、ドストエフスキー、ニーチェ、キルケゴール、ソルジェニツインなど等、歴史上に出現した宗教者、思想家、偉人らを尊敬しています。
これからも宜しく。happy01

投稿: 伊藤武司 | 2011年3月11日 (金) 13時55分

私は統一教会の信者ではありません。しかし、その信徒の何人かとは、いろいろと話し合ったことがあります。特に、再臨問題については、統一教会の問題提起とその回答を受け止め、信仰の再検討の契機とすべきと思っています。

内村鑑三の思想と信仰の共鳴者で、研究者、理解者たらんとする思いがあるとのこと、なお強まるよう祈ります。

今日、内村の『宗教座談』を読みましたが、明治33年の著作です。今でも読んで教えられています。明治の本を読んで、理解し、感動できるとは、と驚くかぎりです。

キリスト教伝道者として内村は今でも影響力を持っていると思います。


投稿: | 2011年3月11日 (金) 19時52分

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