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2010年4月 8日 (木)

実存論的神学

実存論的神学には、いくらかの関心がある。聖霊の内在と、再臨信仰における超越の契機、この両方を含んでいれば、キリスト教信仰の基本構造はクリアしていると思う。この神学が、この条件を満たしているかどうかは、分からないが。
真の信仰は、自分勝手な解釈を退けるといっても、解釈のない信仰は盲目ではないかと思う。非神話化が正しい解釈かどうかは分からないが、解釈がなければ意味がないという解釈だけは正しいと思う。
教派の数だけ、聖書解釈があるのかも知れないが、その中で、対話と宣言の二つの道を通って、未来を展望したい。トマス・アクィナスは、宣言だけの人ではなく、異論との対話に心を用いた人であった。そんな人が、教派乱立の今日、なお求められているのかも知れない。

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