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2010年5月20日 (木)

念仏と題目

仏教で、信仰の核心をつく言葉に、よく知られた「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」がある。

念仏は、阿弥陀仏に帰依するという意味で、よく分かる。キリスト教の信仰では、イエス・キリストに帰依するという信仰の中心的な事柄を考えれば、それに対応するものとして納得できるものを感じる。

それに対して、題目は、法華経に帰依するという意味であろう。キリスト教的に言えば、「ガラテヤ書に帰依する」といった意味であろうか。念仏とはすこし別の精神を感じるのである。

両者の相違に目をとめれば、念仏の方に親近感を感じるのである。しかし、この両者は対立的にのみ存在しているのだろうか。いや、そうではないかも知れない。

あの日蓮の、念仏・禅・真言・律を批判した四箇格言といった、これもよく知られた言葉も、そのままストレートに受け止めたら、日蓮の評価を下げることになるかもしれない。禅も念仏も、現在の影響は看過できないからである。

法華経に帰依するという立場は、正統信仰論の中で浮かび上がる立場であろう。キリスト教の歴史の中でも、教会が誕生し、その後、異端論争があった。信仰の本質が、そこで問われた。そんな関心の中で、正統信仰を問い、その解決を提示する試みが続いた。

そんなことを背景にして考えれば、両者を対立的にではなく、包摂的に捉えることができるかも知れない。今は、そんな解釈がよいと思っている。

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