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2010年7月 6日 (火)

再臨信仰

再臨信仰とは、再臨を待望することである。それが基本であろう。しかし、それだけであろうか。その中で、「だから、今を、このように生きよう」という勧めがある。その勧めがなければ、再臨信仰の奨励は成り立たないように思われるからである。

この勧めは、自分の生き方の反省、改善を求めている。それはそれで、意味のあることであろう。しかし、再臨には審判も含まれている。最終的な審判であり、それがなければ新しい天地はやってこない。審判を恐れる人は、再臨の待望ではなく、遅延を求めているかも知れない。しかし、やがては審判は来るのだ。であれば、早く来てもいい。いや、早く来てほしい。その中にも再臨の期待はある。

再臨信仰に生きるということは、現在に生きることである。将来の出来事を想像の中で先取りして、現在に適用することである。もちろん、その時の想像は、あやふやなこと、不確かなことを意味してはいない。なぜなら、聖霊の現在的体験の中で、その徹底、完成を再臨の中に求めているからである。

再臨信仰は、ヨハネ黙示録の解釈の中で確定するのではなくて、現在の聖化論の完成の中でも、大切な事柄として意識されるのではないだろうか。

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