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2010年8月27日 (金)

非戦論

この夏、戦争を反省する貴重な番組が流れた。NHKラジオ深夜便でも放送されていた。その中で、非戦という言葉が反戦に勝るかも知れないという指摘もあった。そこには、反戦では戦争はなくならないという洞察があった。

非戦という言葉は、日露戦争に反対する人々によって使われた言葉として記憶されている。歴史を検証すると、この戦争に勝って、日本は破滅への道を歩み始めたのかも知れない。歴史を見ると、昨日の善は今日の悪になっているようだ。

日露戦争当時は、もちろん、非戦は日本の立場ではない。しかし、今、それは、日本国憲法の立場。特に憲法9条は反戦ではなく、非戦の立場を表したものなのだろう。

非戦といっても、自衛権はある。その先に日米同盟がある。そして非戦を掲げる憲法は最高裁判決の中で、日米同盟を排除できないという。今は両立が定着しているが、以前は、そうではなかった。樺美智子さんの死も、その解釈の中で起きたことだろう。

非戦の立場に立ちつつ、いかに国の主体性を形成していけるか、その課題を思う時、聖書の信仰は、その課題に応答できるのではないだろうか。 非戦論は聖書の信仰を要請しているとも言えるのではないだろうか。

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