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2010年10月25日 (月)

公会主義

日本のプロテスタント史の初期に日本キリスト公会という言葉が出てくる。教派主義への反省から、教派でない教会の設立を考えた。宣教師の意図が強く働いたのだろう。しかし、まもなく、その公会の歴史は終わり、諸教派の時代が始まった。明治、大正の時代が過ぎていく。昭和の時代を迎えた。

そして、先の戦争の始まる1年前、昭和15年に出来た宗教団体法で、日本基督教団が生まれた。しかし、戦後、教団離脱が続き、それぞれが教派の信仰を掲げて、教会形成に励んできた。それらの教会の多くは福音派という合言葉の中で、教団批判をしてきた。中には、戦争への協力という反省から、教団の成立の原点への疑義を表す人もいた。そこには、公会の持つ意義は顧みられていない。

しかし、教団の中には、教団成立を肯定する人たちもいた。当然のことであろう。それは、以前は余り明確に意識されていなかったかも知れないが、何人かの人たちが指摘していた。それはプロテスタント教会史における公会の意義についてであった。

最近、ウィキペディアなどを見ていると、教団のアイデンティティとして、この公会主義の指摘が目につくようになった。おそらく、それが日本キリスト教団の意義なのかも知れない。そこには、教派とは何か、その負の遺産への反省が込められているのではないだろうか。

しかし、公会主義と教派の信仰とは、どういう関係なのだろうか。ウェスレーとカルビンとは、一人の信徒の信仰の中で共存できるのだろうか。それらの課題に、公会主義は何と答えるのだろうか。

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2010年10月21日 (木)

少年よ、大志を抱け

ウイリアム・S・クラークが札幌農学校を去る時に言ったという有名な言葉に、Boys,be ambitious (少年よ、大志を抱け)がある。しかし、実は、その後に、in Christ あるいは in God があったという記事を、どこかで読んだことがある。ああ、そうだったのか、と思っていた。「キリストにあって、神にあって、あるいはキリストと共に」大志を抱け、ということであれば、キリスト者にとっては、アーメンと言えるのではないだろうか。

しかし、ウィキペディアには、これに言及した1期生はいないので、「キリスト教徒による創作とされる」と書かれている。

それにしても、クラークの来日は、新島襄の紹介により、日本政府が要請したものであった。新島の仲介がなかったら、あるいはクラークの来日はなかったかも知れない。来日がなければ、札幌バンドもなく、新渡戸稲造も、内村鑑三も別の人生を歩んだかも知れない。近代日本は別の姿をとったかも知れない。

札幌バンドの、陰の生みの親は新島襄と思えば、新島の見方が少し変わるかも知れない。内村の結婚、破婚、米国留学と、内村と新島の間には、いろいろな絆があった。二人の間に、不思議な縁が働いていたように思う。

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2010年10月 5日 (火)

戦略的互恵関係

最近、戦略的互恵関係という言葉をテレビでよく聞く。日中関係のこじれを解消するための呪文のようでもある。この言葉での合意は日中間にあるので、現状打開のためによく引用されるのであろう。

問題は、尖閣諸島の帰属が日中で対立していることであり、これは「絶対的対立」である。この前提の中で語られているのが、戦略的互恵関係である。

この言葉で連想するのが、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉である。日中は、尖閣諸島帰属に関しては、「絶対的に矛盾」している。しかし、それでは両国とも成り立たない。そこで、どうするか、ということだが、そこに「戦略的互恵関係」という言葉が登場している。

ところで、絶対矛盾的自己同一には内実があるのだろうか。ただ、言葉だけなのだろうか。いや、言葉だけではなく、何かの現実が含まれているのではないだろうか。では、その現実が戦略的互恵関係にも反映されていいのではないだろうか。

ともあれ、日本国民は、日中の首脳の言葉により、難問を突きつけられている。戦略的互恵関係という突破口は、どこにあるのか。こうなると、国家の限界にまで考察を進めなければならないのではないだろうか。国家とは何か。どうしてそれが生まれたのか。戦略的互恵関係とは、国家を超えたところに目を向けよという意味でなければ、何を意味するのだろうか。

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強制起訴

小沢一郎氏が検察審査会によって強制起訴された。意外と思う人もいるようだが、疑惑が残る以上、審査会の判断は当然とも思える。

プロの検察が二回も起訴を断念した。だから、素人の審査会も同様だろうという期待を、小沢氏は語っていた。そういう結果になると思った人も多いかも知れない。しかし、結果は違った。号外も出て、驚きを表現してた。しかし、よく考えれば、当然の結果だったのではないだろうか。

プロの検察が起訴を断念した。だから、検察審査会も、そうするだろうと思ったとすれば、審査会があるという存在理由は何なのかという問いが生まれる。だから、審査会としては、起訴相当の判断しかなかったのだろう。 もし、それ以外の判断をすれば、国民の間に残る疑惑の解明に貢献できる道が備えられているのに、その権利を行使しなかったということで、逆に、審査会は、国民に顔向けが出来ない事態になったかも知れない。

審査会は、有罪と判断して、起訴相当の判断をしたのではないであろう。ただ、疑惑をこのままにしてはおけないという判断だったのではないだろうか。裁判の結果、無罪判決が出ても、それは審査会の敗北を意味するのではなく、それによって国民の間に漂う疑惑の解明に対し、やるべきことはしたということで、納得できるのではないだろうか。

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2010年10月 1日 (金)

北方領土

北方領土の本来の帰属は日本にあるのか、ロシアにあるのか。この点で、日本とロシアとの間で、認識の相違があるのだろうか。いや、お互いに分かっているのだと思う。

ロシア外務省のネステレンコ情報報道局長が、9月30日の定例記者会見で、「(北方領土の)島々がロシアの領土であることは第2次大戦の結果だ」と言っている。(『読売新聞』10月1日)

要するに、第2次大戦以前は、ロシアの領土ではないと言っているのではないだろうか。であれば、日本の主張と、この点ではかみ合うのではないだろうか。日本としては、第二次大戦の結果を受け入れることが出来るのかどうかであろう。

北方領土の返還要求については、第二次大戦の結果を厳粛に受け入れることができないという、日本の姿勢に対して、ロシアとしては、歴史をもう一度、学び直してくれというボールを投げ返したいのであろう。

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