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2011年1月23日 (日)

二様の過去・現在・未来

連れ合いの母が、地下鉄サリン事件の起きた年に、東京・杉並区天沼にある東京衛生病院で亡くなった。この病院はセブンスデー・アドベンチスト教会の医療法人財団アドベンチスト会の運営する医療機関である。セブンスデー・アドベンチスト教会には教理的に分からない個所もあり、あまり関心がなかった。

最近、再臨に関心を持つようになり、関連資料を見ている。セブンスデー・アドベンチスト教会は再臨待望運動の中から生まれ、再臨の日にちを特定した。現実には、それが実現せず、解釈で乗り越えた。日本での再臨運動で知られる内村鑑三は、再臨日の特定には反対していた。

再臨解釈では異論があるかもしれないが、セブンスデー・アドベンチスト教会は、現在でも、重要なメッセージを持っているのではないだろうか。しかし、一般には浸透していかない。

そのメッセージというのは、再臨は教会の信仰であるという点である。統一教会の文鮮明氏が、自分は再臨主と言ったそうだが、それも、どういう意味で言ったのであろうか。もし、教会の待望する再臨の主であれば、三位一体の神の一つの位格としての神の来臨であれば、聖霊もまた、それを証しするであろうし、全教会が、そのもとに一つになるであろう。そこには、もはや議論などはない。教会一致は、即座に実現するのではないだろうか。

アドベントというと、クリスマスの前の待降期間を指すが、アドベンチストは、過去を見る降誕主義者ではなく、再臨は近いという、いってみれば、再臨主義者である。降誕と再臨は、英語(アドベントやアドベンチスト)を見れば、関連があるということを予想できる。

時間は、過去・現在・未来という方向に流れている。この順番を考えれば、クリスマスの後に、イースター、ペンテコステと続いている。

しかし、信仰の時間意識で見れば、イースターが過去、ペンテコステが現在、そしてクリスマスが将来となるかもしれない。ペンテコステは教会の誕生日を指すのであれば、それは過去を意味するのではないか。いや、ここでは、過去と見るのではなく、聖霊臨在の今を意味している。

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