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2011年1月10日 (月)

再生

キリスト教信仰の中で、再生という言葉がある。洗礼の本質を指しているのかも知れない。聖霊による生まれ変わりという意味でもある。

ところで、再生は、以前の生に戻るのだから、キリスト者の再生とはおかしいという指摘があった。罪のある生に再生されても、なお原罪の処理はされず、その意味で罪人としての本質は維持される、そういう意味に受け取ったのだろう。

米国では、聖霊による生まれ変わりの経験が重んじられている。特に、福音派ではそうである。ボーン・アゲインという言葉もある。しかし、アゲインは「再」を意味するのではないだろうか。この再は、しかし、「新」の意味である。

改革派系の教会では、主に「再生」が使われているが、バプテスト系の教会では、「新生」が使われている。「新生賛美歌」というものもあったと思う。

ところで、この再生・新生は、教会員を区別するかも知れない。新生者と、そうでない信徒という意味である。ジョン・ウェスレーも、ジョージ・ホイットフィールドも、そうだったという。今で言えば、異言のようなものかも知れない。しかし、聖霊による生まれ変わりと、異言とは、やはり信仰の基準としては違うと思う。前者は、なくてならぬもの、後者は、そこまでは言えないであろう。

水による洗礼を軽視しているのではないが、やはり、それとは違うもの、回心の本質が、その瞬間があるのだろう。

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