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2011年2月22日 (火)

日本基督教団の大義

大義とは、存在理由のことである。「日本基督教団の大義」など、少し大それたテーマのようでもある。部外者の評論と受け取られるかも知れないが、私は洗礼はこの教団で受けたので、無関係ではない。

日本基督教団が日本基督公会の信仰を継承するとの自覚を公表していた。この公表は最近のことのように思う。おやっと思っていた。しかし、合同教会の原点を考えれば、当然と言えるかも知れない。大切なことと思う。公会にプロテスタンティズムの課題と回答があると思うからである。

日本基督教団の成立には、当時の国家の要請があった。戦時体制を整える中で、この教団は生まれた。同時に、教派主義への反省に立った、日本プロテスタント史の初期にあった日本基督公会の精神が、このようにして再び実現したという指摘も、ある一部の人たちにはあった。しかし、その後の歴史の中で、これが強調されたことはなかったと思う。もちろん、合同教会としての限定が忘れられたわけではない。

そうこうしているうちに、一般社会にも反戦平和運動は持ち上がり、教団も紛争に巻き込まれた。社会派が問題提起を先鋭化させたが、そこでは教団の原点が問われたのではないだろうか。それは戦時体制への協力であり、合同教会の意味ではなかったであろう。

教会の中では、その社会派は信仰の展開として実践していったのであろう。その問いは日本基督教団の成立の経緯にあった戦時体制への協力の方に注がれ、そこにあった公会精神の具体化は余り議論にならなかった。

今、教団は、その存在の根拠をどこに置くのだろうか。公会精神の実現と見るのであれば、そこにはプロテスタント史を俯瞰する視点もまた生まれてくるかも知れない。逆に、戦争協力と見るのであれば、戦後、教団を離脱していった教派の流れに沿う位置に立つということになるかも知れない。

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