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2011年2月 6日 (日)

再臨主

かつて、昭和40年代、早稲田大学で、統一教会の話を聞いた時、この教えを開いた文鮮明氏は自分を再臨のキリストと考えているのではないかと思った。そんな感想を言うと、講師は、あいまいな回答だったが、既に文氏本人が、そう宣言しているようである。

こんな現象に対して、教会では、どう判断しているのだろうか。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」(ルカ21・8)と、イエスは教えている。「わたしがそれだ」が、統一教会の例とすれば、「時が近づいた」は、例があるのだろうか。教会史を読めば、過去にあったし、現在でもある。

最近の「CJC通信」によれば、米国で、キリスト教ラジオのキャスターが、最後の審判は今年の5月21日と発表したという。

最後の審判とか再臨とか、一応は信じているが、具体的にどういうことなのかは、私にはよく分からない。しかし、それはキリスト教徒にとっては、よいことであり、悪いことではない。よきものの始まりと、悪しきものの終わりを願うことに反対する人はいないであろう。そんな期待が再臨待望の中心である。だから、キリスト者で再臨を待望しない人はいないと思う。

文氏も、また米国のラジオ・キャスター氏も、それなりに預言の結果としての言動であるかも知れない。自分たちもまた、聖書に預言されていたとは思わないかも知れない。聖書は一つであるが、その解釈によって、結果は異なってくる。

しかし、これらもまた、歴史には終末があるのだということを教え、それに関心を向けさせてくれる点では、意味のあることかも知れない。

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