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2011年3月29日 (火)

人生の意味を問う

人生の意味を問う時、その回答はどこにあるのだろうか。

現在は、問いの中にあるのだから、現在にはない。

では、過去にあるのだろうか。確かに、過去には因果関係において、現在の原因がある。しかし、その原因を知って、それで問いはなくなるのだろうか。その原因が問いと質を異にしている場合もあろう。そんな時には、問いはなくならない。

では、回答はどこにあるのだろうか。未来にある。キリスト者における再臨とは、そんな問いに回答の与えられる時である。未来からの光で、人生の問いへの回答を集めていく、そんな姿勢が再臨待望の生き方なのかも知れない。

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2011年3月28日 (月)

千年王国論

再臨への関心は千年王国の解釈を求めている。この点では、さまざまな立場がある。それらを知るには、講談社選書メチエ『千年王国を夢みた革命-17世紀英米のピューリタン』(岩井淳著、講談社)がある。それらをどう解釈するのか、自分なりに探求していくのも意義もあることであろう。それは、現在の生き方と関係しているからである。

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2011年3月27日 (日)

ウェスレーの信仰

聖化の教師として、最も著名な人はジョン・ウェスレーだと思う。その聖化論の中で、「キリスト者の完全」という目標が立てられている。そこで、少し疑問に思ったのが、ウェスレーは再臨をどう思っていたかである。

ウェスレーもまた聖化の過程で再臨を予想し、必要としていると思うが、ウェスレーに再臨信仰はあったのだろうか。あるいは、完全論が、再臨の役割を担っていたのであろうか。

聖化は新生のあとの段階であり、新生が救いと言われているように、ある決定的な事柄は、新生の時に既に起きたのである。しかし、その後の漸進的な聖化の過程に行き詰ることがないかといえば、そんな時が来るかも知れない。その時、再臨信仰に脱皮して、聖化の完成を待つという姿勢が生まれてくる。

新生が、それを目指す人々にとっては瞬間的な出来事であり、それ以前の生の目的であったように、聖化もまた漸進的な過程で、その完成としての瞬間を要請しているのではないだろうか。それが再臨であり、キリスト者の生の目的、目標なのだと思う。

思えば、ウェスレーは再臨を余り論じてはいなかったように思う。

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2011年3月23日 (水)

神癒

A.B.シンプソンの提唱した四重の福音は主に中田重治を通して日本にも伝えられ、ホーリネス系の諸教会に定着してきた。新生、聖化、神癒、再臨である。

新生、聖化、再臨が信仰の要であることは理解できるが、神癒はどうなのだろうか。教会の中には、他の三つと同様の重みを持つものとは見ない立場もあるらしい。祈祷によって、不治の病が癒やされるというのが、その意味であれば、受け入れるには「問答無用」的なものがあり、それがひっかかるのかも知れない。

しかし、聖化の展開の一つと解釈すれば、抵抗なく受け入れられるのではないだろうか。聖化には、魂の癒やしが含まれている。それは新生の段階を終えた信徒であれば、誰でも了解できるであろう。そして、自分の魂の癒やしは、当然、自分の周囲にも癒やしを広げていく。それらは、劇的な癒やしではないかも知れないが、根本的な癒やしである。

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2011年3月22日 (火)

千年王国前再臨説

千年王国前再臨説というものがあり、福音派にはこの立場の人が多いという。アウグスチヌスは、無千年王国の立場という。そこでは教会の歴史と千年王国が重なっている。彼は、最初は、前者の立場であったというが、千年王国を比喩的に解釈したらしい。

さて、再臨信仰を考えた時、それは歴史の終末を待望するという信仰である。歴史の終末というのは、罪の歴史の終わりであり、アダムの原罪によって始まった歴史が終わるということである。だから、悲劇ではなく、祝福の時である。

さて、千年王国は永遠的要素を持っているが、やはり歴史的なものなのだろうと思う。なぜなら、やがて千年王国もやがて終わるからである。そこに千年王国の歴史性が明確に示されている。千年王国前再臨説の人たちも、そう考えているだろう。であれば、再臨があって、千年が経って、そして終末ということになる。歴史の終末への待望に、少し混ざり物があるように思える。

そういう意味では、千年王国待望は歴史の終わりへの待望とは厳密には同一でないかも知れない。再臨待望の内容が問われている。

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2011年3月18日 (金)

実験

内村鑑三は実験という言葉をよく使っていた。もちろん、自然科学的な意味ではない。信仰の結果として、内心に現れる変化を意味していたのではないだろうか。それは聖霊の働きである。聖霊の賜物といった多様性の展開ではなく、救いの根本にかかわる聖霊の働きであったように思う。

実験といっても、神を試みるといった意図はなかったと思うが、信仰が根本的救いを起こさず、ただ自力救済の繰り返しの試みではないと強調したかったのではないだろうか。いくらか、信仰への勧めとして、促す意味は実験の言葉に含まれていたかも知れない。

実験は、信仰に何かが付加したものである。信仰は信じて仰ぐこと、その後、何かが起きる。その何かが信仰の真実を証明するという意味が込められているのだろう。

さて、罪と罰は原因と結果の関係でつながっている。旧約聖書の中には、そういう発想がある。だから、そういう発想は間違いだと一概に言い切ってしまえないかも知れない。「罪の支払う報酬は死である」(ローマ人への手紙6・23)とある。しかし、一方、イエスは、そのような現実を前にして、それは神のみわざの現れるため、ともいう。

「弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(ヨハネによる福音書9・2~3)。

そのように言える背景に、十字架の死の意味があるのだろう。そこに、犠牲の意味が込められている。

犠牲とは経験している不幸の原因が自分にないということなのだろう。そのため、結果としての罰を受けていることから、原因・結果の原理を遡って、原因としての罪を他者の罪と交換できるということなのではないだろうか。それが贖いなのだろう。そして、そこに救いがあるのだろう。その現実が現れるのが、神のみわざなのではないだろうか。

イエスに罪があったのであれば、十字架の苦難と死は自分(イエス)のためであった。しかし、イエスに罪はなかった。そこで、十字架は他者の罪を処理する能力を持っている。この事実が福音、それを知らせるのが宣教、その適用が信仰なのだろう。

内村鑑三の実験には、信仰は信じて仰ぐこと、その後、何かが起きる、その何かが信仰の真実を証明するという意味が込められているのだろう。

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2011年3月 7日 (月)

援助隊

援助隊 被災の地にて 黙祷す

  いのち尊し 世界に向けて

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御国

雪国に あらぬ東京 雪景色

天つ御国の 景色を思う

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2011年3月 4日 (金)

中世と近世

西洋16世紀の宗教改革はユダヤとギリシャの分離であった。ルターのアリストテレス観にも、それがうかがえる。キリスト教を異教(ギリシャ)から分離し、その純粋(ユダヤ)を求めるものであった。ユダヤは信仰の立場、ギリシャは異教の立場、という見方だ。今でもプロテスタント的な見方の根本にあるのではないであろうか。

しかし、ギリシャを異教としてではなく、理性の立場と見た時、少し見方が変わってくるかも知れない。理性は、人間の本質的規定であり、それを否定することはできないからだ。

信仰と理性との総合でもあった中世が崩壊し、近世が始まったが、その発端を作った国で、新しい総合の試みが始まった。それはドイツであった。

ドイツに関する関心は哲学・思想にあった。カントからヘーゲルまで、ドイツ哲学の栄光は神を問うことであった。ギリシャでは、形而上学というかたちで、神を問うたが、一度、中世を経験してからは、そのような抽象的な神ではなく、もっと具体的な神が論じられるようになった。すなわち、キリスト教の神が問われている。

中世解体における信仰と理性の分離に対して、ドイツ哲学の中で新たな総合の試みが見られた。「ギリシャに帰れ」のルネサンスの訴えは、近世を開き、近代を通り、現代にまで至っている。しかし、ギリシャ一辺倒では満足できないことを西洋の人たちは知っている。その意味では、宗教改革の地、ドイツで、新しい中世が志向されていたと言えるかも知れない。それが、遠い地にいる我々の心を強烈に引き付けたのである。

中世というのは、やはりローマ・カトリック教会のふるさとであろう。近世から、あるいはプロテスタントからカトリックを見た時、いろいろな疑問が生まれてくる。しかし、ローマ帝国の中でキリスト教が公認され、やがて国教となっていく過程から見た時、カトリック教会を理解する目が与えられるのかも知れない。この教会の理解のためには、ユダヤだけではなく、ギリシャもローマも必要のように思える。一体となった総合ではなく、秩序の中での多様性の関係づけとして見たらよいのではないだろうか。

歴史的中世は、この信仰の故郷でもある。しかし、それに固執するのは、当時と環境の激変している現代においては、本当の信仰から離れるかも知れない。カトリックの中には、第2バチカンを超えられない人もいた。しかし、中世のトマス・アクィナスを学び続けたカトリック思想家・吉満義彦は超えることができたように思う。なぜなら、彼は歴史的中世に固執せず、それを生み出しつつ、それを超えている中世的原理を見ていたからである。「近代の超克」にも、それが現れている。

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四苦

仏教に四苦という言葉がある。生老病死のことであり、これらが苦であるという。

ところで、老病死が苦であることは、誰にでもすぐに分かることであろう。しかし、生がなぜ苦なのだろうか。生と死は対義語であり、共に苦とは分かりにくい。死が苦であるとは了解できるが、その対義語の生も苦というと、どうして、と疑問が生まれる。

しかし、生を「生まれる」という意味にとれば、理解できそうである。生死は瞬間的な苦、老病は漸進的な苦であるとも考えられる。

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