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2011年3月27日 (日)

ウェスレーの信仰

聖化の教師として、最も著名な人はジョン・ウェスレーだと思う。その聖化論の中で、「キリスト者の完全」という目標が立てられている。そこで、少し疑問に思ったのが、ウェスレーは再臨をどう思っていたかである。

ウェスレーもまた聖化の過程で再臨を予想し、必要としていると思うが、ウェスレーに再臨信仰はあったのだろうか。あるいは、完全論が、再臨の役割を担っていたのであろうか。

聖化は新生のあとの段階であり、新生が救いと言われているように、ある決定的な事柄は、新生の時に既に起きたのである。しかし、その後の漸進的な聖化の過程に行き詰ることがないかといえば、そんな時が来るかも知れない。その時、再臨信仰に脱皮して、聖化の完成を待つという姿勢が生まれてくる。

新生が、それを目指す人々にとっては瞬間的な出来事であり、それ以前の生の目的であったように、聖化もまた漸進的な過程で、その完成としての瞬間を要請しているのではないだろうか。それが再臨であり、キリスト者の生の目的、目標なのだと思う。

思えば、ウェスレーは再臨を余り論じてはいなかったように思う。

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