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2011年3月 4日 (金)

中世と近世

西洋16世紀の宗教改革はユダヤとギリシャの分離であった。ルターのアリストテレス観にも、それがうかがえる。キリスト教を異教(ギリシャ)から分離し、その純粋(ユダヤ)を求めるものであった。ユダヤは信仰の立場、ギリシャは異教の立場、という見方だ。今でもプロテスタント的な見方の根本にあるのではないであろうか。

しかし、ギリシャを異教としてではなく、理性の立場と見た時、少し見方が変わってくるかも知れない。理性は、人間の本質的規定であり、それを否定することはできないからだ。

信仰と理性との総合でもあった中世が崩壊し、近世が始まったが、その発端を作った国で、新しい総合の試みが始まった。それはドイツであった。

ドイツに関する関心は哲学・思想にあった。カントからヘーゲルまで、ドイツ哲学の栄光は神を問うことであった。ギリシャでは、形而上学というかたちで、神を問うたが、一度、中世を経験してからは、そのような抽象的な神ではなく、もっと具体的な神が論じられるようになった。すなわち、キリスト教の神が問われている。

中世解体における信仰と理性の分離に対して、ドイツ哲学の中で新たな総合の試みが見られた。「ギリシャに帰れ」のルネサンスの訴えは、近世を開き、近代を通り、現代にまで至っている。しかし、ギリシャ一辺倒では満足できないことを西洋の人たちは知っている。その意味では、宗教改革の地、ドイツで、新しい中世が志向されていたと言えるかも知れない。それが、遠い地にいる我々の心を強烈に引き付けたのである。

中世というのは、やはりローマ・カトリック教会のふるさとであろう。近世から、あるいはプロテスタントからカトリックを見た時、いろいろな疑問が生まれてくる。しかし、ローマ帝国の中でキリスト教が公認され、やがて国教となっていく過程から見た時、カトリック教会を理解する目が与えられるのかも知れない。この教会の理解のためには、ユダヤだけではなく、ギリシャもローマも必要のように思える。一体となった総合ではなく、秩序の中での多様性の関係づけとして見たらよいのではないだろうか。

歴史的中世は、この信仰の故郷でもある。しかし、それに固執するのは、当時と環境の激変している現代においては、本当の信仰から離れるかも知れない。カトリックの中には、第2バチカンを超えられない人もいた。しかし、中世のトマス・アクィナスを学び続けたカトリック思想家・吉満義彦は超えることができたように思う。なぜなら、彼は歴史的中世に固執せず、それを生み出しつつ、それを超えている中世的原理を見ていたからである。「近代の超克」にも、それが現れている。

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