« 現代の野外伝道 | トップページ | 生活の反省 »

2011年5月22日 (日)

聖化

聖化の人生の中で、自由意志は無ではない。それは必要であり、求められてもいる。そのプロセスでは、「神人協力説」が妥当かも知れない。半ペラギウス説ではなく、神と共に働くという信仰である。そこでは、ベルジャーエフのいう創造活動が求められているのかも知れない。神とともに働く人生、それが聖化の人生である。

聖化は新生ではない。新生における絶対他力的理解を聖化に適用するのは少し無理があるように思う。

しかし、聖化の極みは、やはり絶対他力的信仰の維持の中にあるのだろう。そこでは、聖化の目標としての再臨を常に見ることが必要になるのだろうと思う。それは見上げることを意味する。そして、それが信仰の姿勢となる。内村鑑三の仰瞻(ぎょうせん)である。

|

« 現代の野外伝道 | トップページ | 生活の反省 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 現代の野外伝道 | トップページ | 生活の反省 »