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2011年5月16日 (月)

「善は悪の欠如」

アウグスチヌスにおける新プラトン主義の影響を指摘して、それを批判している神学者がいる。改革派におられる。

なぜ、批判されるのか、それはよく分からない。また、アウグスチヌスにおける新プラトン主義の影響として、何を指しているのかも、よく分からなかった。

しかし、こんな指摘もある。

「アウグスチヌスはマニ教の影響で、「悪は実体である」と永年考えていて、この考えから脱却することが出来ず、苦しみました。プロティノスの「悪は実体ではなく、善の欠如である」という思想によって、この迷妄から脱することができました」
(『聖アウグスチヌス「告白録」講義』高橋亘著)

「善は悪の欠如」とは、アウグスチヌスの言葉としても知られている。ここに、あるいはアウグスチヌスにおける新プラトン主義の影響を見ているのだろうか。新プラトン主義とは、プロティノスによって確立された古代哲学最後の学派である。

では、アウグスチヌス批判は、どこに向けられたのだろうか。悪は善の欠如というよりも、もっと積極的なものなのだ、という思いであろうか。そんな気がしないでもない。

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