« 宗教改革の意義 | トップページ | 予定論の論理 »

2011年5月20日 (金)

四重の福音

信仰の柱を新生と聖化においている教派がある。救世軍は、そうである。救いと潔めという。ナザレン教会もそうである。
一方、A.B.シンプソンの提唱した四重の福音もある。新生、聖化の二つに神癒と再臨が加わっている。神癒は、あるいはなくてもよいかも知れないが、再臨は不可欠ではないだろうか。
なぜなら、新生、聖化、再臨は、信仰の過去、現在、未来に対応しているからである。現在は聖化である。キリスト者とは聖化の道を歩んでいる人たちのことである。
その中で、神癒は信仰の結果という意味があるだろうか。その場合には、祈りで病気が治ったという、一般的な理解よりも、癒しの概念をもっと拡大していかねばならないかも知れない。

|

« 宗教改革の意義 | トップページ | 予定論の論理 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 宗教改革の意義 | トップページ | 予定論の論理 »