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2011年5月 4日 (水)

教会の弱体

関西学院院長であった故久山康氏の働きを思い、感謝の思いを新たにしている。座談会を企画し、何冊かにまとめられていたが、今でも共感する個所は多い。
例えば、「教会の弱体」について、久山氏は、こう語っている。

「結局問題はキリスト教会に本物がおらないということですね。だからたとえクリスチャンになっても、何か知的な或は情緒的な一つの了解に止っている場合が多い。ところが彷徨し求めているインテリゲンチャの生活は、最後の実質的な拠り所を求めているので、単に口先でキリスト教の論理をあやつったところで、霊的な実質がないから本当に自分の動揺している魂を定着させることができない。そのために現在の人物にもその著書にも失望して、かえって内村さんのような人に関心をよせるということもあります。とにかく真のキリスト教の指導者がいないために、ずいぶん中途半端なところで終ってしまうことが多いですね」(『読書の伴侶』、国際日本研究所、256頁)

その通りと思う。そして、内村鑑三の著書は、今でも通用すると思う。既に没後80年を過ぎている人物であるが。

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