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2011年5月20日 (金)

予定論の論理

義認に関しては信仰か行為か、と問われる。そこでは信仰は行為ではない。救いの条件は信仰であって、行為ではない。
しかし、信仰という行為と考える人もいるかもしれない。そんな場合、信仰という行為によって救われるのではない、という言い方が生まれる。その背後に、ただ恵みのみ、そして、神の選びがある。こうして予定論が生まれるのだろうか。

日本では、あるいは法然と親鸞の相違に類似しているのかも知れない。

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