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2011年5月15日 (日)

ザビエルの願い

1549年8月15日、フランシスコ・ザビエルは、日本の地を踏んだ。キリスト教の日本宣教の開始の日である。日本には、それ以前にもキリスト教は伝えられていたとも言われているが、公的に日本宣教の意志を持ったものではないだろう。

1549という数字は、「以後、良い国造り」という言葉で、覚えられてもいる。

しかし、ザビエルの日本滞在は長くはなかった。その後、彼は、日本宣教のために中国宣教を志し、大陸に渡ろうとして果たさず、生涯を閉じた。しかし、彼の願いは、ヴァリニャーノらに受け継がれ、マテオ・リッチが中国で大きな働きをすることになった。

リッチの本としては、『天主実義』が知られているが、当時の宣教師らの本が、日本にも密輸され、一部の知識人らに読まれた。その中に、平田篤胤がいた。

平田は、それらを、日本神話の中に取り入れていった。その発想には、ユダヤが先で、日本は後との、日ユ同祖論ではなく、逆のユ日同祖論が見られるかもしれない。

しかし、平田の日本思想の根幹にある要素に、キリスト教の影響があるとのことは、まもなく知られるところとなった。

堀田善衛(よしえ)は、『若き日の詩人たちの肖像』(1968年、新潮社)の中で、感動的に、その発見を描いている。

こうした過程を見れば、ザビエルの念願は、隠れたところで、進展していったといえるかも知れない。隠れキリシタンの歴史ではない、もっと力強い、しかし、裏のキリスト教宣教史である。

やがて、大正年間に、最初のカトリックの大学として上智大学が創立された。いま、中国のキリスト教は、我が国では信じられないような勢いである。

三自愛国運動は、江戸、明治の禁教、開国といった、日本の選択を反省しているかのようにもみえる。キリスト教は愛国と矛盾はしていない、また、三の文字、自の文字も、考えてみれば示唆的でもある。

ザビエルは、日本宣教を中国から進めようとしたが、ザビエルの後継者たちは、中国のキリスト教と、バチカンの動きに関心を持つべきではないだろうか。

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