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2011年6月24日 (金)

この名

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4・12)

「この人による以外に救はない」とは、ペテロの言葉です。宗教的排他主義の根拠とも言える言葉です。

ところで、救いのとらえ方に関して、宗教的排他主義、宗教的包括主義、宗教的多元主義があります。どういう関係になっているのでしょうか。

宗教的包括主義とは、宗教的排他主義と同根です。ということは、「この人による以外に救はない」にのっとっているということです。その違いは排他主義が肯定神学的アプローチであるのに対し、包括主義は否定神学的アプローチをとる点のように思われます。

宗教的排他主義と宗教的包括主義との違いは、原理主義者と福音主義者(福音派)との態度の違いに類似しているようにも思います。

ところで、原理主義という言葉はイスラム原理主義で知られるようになりましたが、英語では、ファンダメンタリズムです。キリスト教の場合、以前は根本主義という訳語で、この訳語を導入したのは、それに批判的な植村正久牧師だったようです。

「この人による以外に救はない」は、キリスト者であれば、みな同意するでしょうが、同じような言葉に、「教会の外に救いなし」があります。こちらはキプリアヌスの言葉です。しかし、今、そう言う人はいないでしょう。あえて、同じように言うとしたら、「神の国の外に救いなし」でしょうか。

ところで、無千年王国の主張で、アウグスチヌスは、教会の権威を高めたと思います。しかし、一方、二つの国の対立による歴史観で、教会を「道具」と見る見方にも理解を持っていたかも知れません。神の国は教会とだぶってはいても同一ではないからです。そして、この二つの見方を表明しているのが『神の国』です。

教会と神の国、この二つの関係を見ていく中に、キリスト者の前進があるように思われます。

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