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2011年6月 5日 (日)

聖霊の時代

12世紀の中世カトリック教会にフィオーレのヨアキムという神学者がいた。彼はシトー会の修道院長であった。彼の主張した歴史思想をヨアキム主義という。教皇から異端とされたが、どこが問題なのかは、分からない。

彼はいう。全歴史は三つの時代からなっている。第一は父の時代で、祭司と預言者の時、だから旧約の時代であろう。第二は子の時代で、その時までの教会の時代にあたる。そして第三の時代が、聖霊の時代であるという。彼は、この聖霊の時代について、その内容を説明しているという。

しかし、ここで問いたいのは、聖霊降臨の時から聖霊の時代は始まっているのではないかということである。そうすると、子の時代はイエスがいた時で、30年くらいということになろうか。

あるいは、聖霊の時代とはキリスト再臨後の時代を意味しているのであろうか。第二の時代と第三の時代の境には何があるのだろうか。

第二の時代と第三の時代とは、見方によれば、だぶっているのである。第三の時代が本質的な時代であり、第二の時代は第三の時代のためにある、その道具なのだと見れば、正解に近いであろうか。

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コメント

「ヨアキムの洞察力にとむ解釈の図式は、三位一体論に基づいている。三つの異なる秩序が、三つの異なる時期に展開し、その三つの時期には、三位一体の三つの位格が、順々にあらわれる。最初のは父の秩序であり、第二のは、子の秩序で、第三のは、聖霊の秩序である。最後のは、ちょうど(いま、つまり12世紀の終わりごろ)はじまり、「聖霊」の完全な<自由>にむかって発展していく」(『世界史と救済史』カール・レーヴット著)

要するに、聖霊の時代は、ヨアキムの時代に始まったのだという理解なのだろう。しかし、第二と第三の時代の境には、もっと決定的な事柄を予想すべきではないのだろうか。再臨である。終末論であれば。再臨の理解も問われるのではないだろうか。千年王国はどうなのだろうか。あるいは、第三の時代のあとに再臨、千年王国なのだろうか。

投稿: | 2011年6月 7日 (火) 10時53分

はじめまして。
聖書の十字架の話は実話ではなく、古代宗教からの模倣であったそうで
外国では近年話題沸騰に広まっているそうです。
http://blog.goo.ne.jp/b5550/e/6d03488cc32364e8dfd01749acf913fb
南十字星の天体観測から、何千年も昔に生まれていた神話なのだそうです。
 
1世紀のパウロも異端的であったらしく、紆余曲折の末にキリスト教が成立していたようですね…
死人の復活はやはり神話内の出来事なのではないでしょうか。

投稿: Asar | 2012年6月23日 (土) 00時16分

こんにちは。「聖書の十字架の話」が何を意味するのか分かりませんが、イエスが十字架についたことは歴史的な事実でしょうね。その意味については、もちろん解釈が入ると思います。

死人の復活についても、イエスが昇天されたあとの、今の我々が経験することは出来ません。証人は、イエスの昇天前の限られた人々だけだからです。

しかし、そのあと、聖霊降臨がありました。これは歴史的な事実というよりも、信じる人々に体験されたもので、これが現代まで続いているということです。この体験を中心として、聖書の物語を読む時、その本当の意味が分かってくるのだと思います。

それから神話という言葉は、事実でないという含意があるかも知れませんが、別に真実を伝える物語という意味もあると思います。事実と真実は、同じようですが、違うところもある。混同するリスクは、いつもあると思います。神話は真実であるとして、非神話化を言う人もいるし、最近は再神話化という言葉もあり、提唱する人もいます。

投稿: | 2012年6月28日 (木) 07時09分

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