« カルヴァンとウェスレー | トップページ | 十字架の意味 »

2011年7月29日 (金)

カトリックとプロテスタント

昭和40年、東京・四谷のカトリック系大学にカトリック研究会があった。私は大学に入学して間もなく、その部に入った。部員の一人が「プロテスタントは異端です」と言った。そこで、対話は切れたと思い、退部した。その時、「プロテスタントの一部」と言えば、その通りだろうと思う。しかし、その時は、ルター、カルヴァンなどを指していると、私は勝手に思った。その人は今は神父になっていて、海外でも活躍している。一度、その人に会う機会があり、そのことを聞いたら、「覚えていない」と言われた。

大学では、間もなく紛争が起きて、カトリック研究会も名前を変えた。

ところで、池上彰さんの近著に『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(文春新書)がある。そこで、こんな会話がある。

池上彰「カトリックとプロテスタント、そして東方正教会にはどんな教義の違いがあるのでしょうか」山形孝夫「教義上の違いはありません。そう断言してよいと思います」

一般的にはカトリック教会とプロテスタント教会の間には、相互に批判の応酬があり、今でもあるだろう。しかし、「教義上の違いはない」と山形さんはいう。その意味は、こうではないか。プロテスタントもカトリック(ローマではない)であり、カトリックでなくなったプロテスタントを異端と言っている。そのようなカトリックを、ある人はエクレシア・カトリカという。

「あなたは、なぜカトリックか」と、問われるなら、私は、こう答えよう。「私は、キリスト教会において、ローマ教皇の必要性を認めているから。教皇が人間として、善人であるか悪人であるかは関係ない」と。見える団体に長は、やはり必要である。その意味では、聖公会でも理解する人はいるのではないだろうか。また、そこには、アウグスチヌスの対ドナティスト論争の考え方も含まれているかも知れない。

|

« カルヴァンとウェスレー | トップページ | 十字架の意味 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« カルヴァンとウェスレー | トップページ | 十字架の意味 »