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2011年7月26日 (火)

カルヴァンとウェスレー

若い時、カルビニズムに関心と魅力を感じていた。今、思うに、カルビニストにとって、実存とは自分の実存というより、教理体系に移行しているように思うことがある。その意味で、そのいくつかの著書には実存的雰囲気が漂っていた。

実存と言えば、ウェスレーの方が実存的に思える。ところで、その教えにある先行的恩寵とは何であろうか。彼もカルビニズムの全的堕落は受け入れていた。それだけでは不十分なのだろうか。

ウェスレーは救いの可能性に着目したのではなく、その前提である信仰の可能性に着目し、それを肯定したかったのではないだろうか。信仰がなければ救われないという点を見ていた。もちろん、それも自然的な可能性ではないけれど。

伝道者は救いの道を語るのが仕事である。そして、救いの道の関門は信仰である。全的堕落で、その信仰の可能性までも否定されるのであれば、伝道者には沈黙する以外の道はないだろう。ここに先行的恩寵の意義があるのではないだろうか。

神を見ていると言っても、カルヴァンは父を、ウェスレーは聖霊を見ているのかも知れない。その違いがあっても、両者は子と共に一体である。だから、カルヴァンを選ぶか、ウェスレーを選ぶかの二者択一の必要はない。しかし、かつて、カルヴァンの教会の教職が、祈りでウェスレーに言及し、少し違和感を覚えたが、やがて、その人は教会を去って、カリスマ派に転じた。

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