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2011年8月 8日 (月)

福音派回想

昔、宗教改革の意義を考えていた。本によれば、キリスト教におけるギリシャの影響を排除しようとしたのが宗教改革の意図であったという。確かに中世はギリシャ思想なしには考えられない。

ギリシャとは何か、それは人間の立場である。普遍的な人間の立場の追求である。だから、そこでは、西洋、東洋は問われていない。東洋の我々にも、だから、ギリシャは意義がある、という発見が、だいぶ後になって訪れた。

それに、もう一つあった。それは新約聖書原文はギリシャ語で書かれていること。これもまたギリシャ再考の一つの契機かも知れない。

その後、宗教改革が起きて、プロテスタント教会が誕生、しかし、いろいろと教派が生まれた。その総括は、どうやったらいいのだろうか。

最近、ツイッターにこんな情報が流れた。

「戦後の時点でエキュメニカル派(リベラル派)対福音派(聖書信仰派)の比率が26対1であったものが、1990年の時点では5対5になっていた」

福音派が戦後、成長したという。昔、そういう環境にいたので、さもありなん、と思う。聖歌は、よく歌った。今は、そんな機会はない。福音派は明治のキリスト者の言葉で言えば、実験的宗教の鼓吹者たちだろう。

最近のニュースでは、福音派の世界的指導者の一人、ジョン・ストット氏が逝去した。英国教会の司祭だった。

英国教会の司祭で、福音派の強力な指導者になった人では、古くはバークレー・バックストンがいる。そういえば、ジョン・ウェスレーも、英国教会司祭だった。

聖書観について、バルト、植村正久、小崎弘道など、福音派と対立するリベラルだと言われるが、三人とも聖書に実存的に向き合っていると思う。それがなくなれば、別の問題が出てきそうだ。実存的を個人的、恣意的と繋げるのは、一部の可能性だと思う。

福音派と原理主義、それは違うものだが、福音派の中に原理主義が含まれていて、同一に見る人たちも増えたかも知れない。

福音派の中で原理主義的な臭いを発散させていたのは、会津若松出身のM牧師であったかも知れない。もっとも相手はリベラルではなく、他宗教だった。その博識に驚いたことを覚えている。

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