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2012年10月12日 (金)

賀川豊彦とカトリシズム

 賀川豊彦は内村鑑三同様、日本のプロテスタント史上、忘れることのできない大人物であった。内村がどちらかと言えば書斎と講壇の人であったのに対して、賀川は実践の人であった。
 賀川は堅い改革派信仰を持った米人宣教師に見出され、初めは改革派教会の信仰の中で育てられていった。しかし、信条的堅さよりも、心情の深さ、広さ、高さに秀でていた賀川は終生、神学者カルビンには余り関心がなかったようだ。彼が<衣鉢を継ぐ>として常に念頭に置いていたのは、ジュン・ウェスレーとアシジの聖フランシスコであった。彼が、その創設にあずかり、常に、その団体の第一の指導者と目されていた「イエスの友の会」は、フランシスコ会の第三会(信徒会)をモデルにしているのである。
 賀川はカトリック神学に興味を持っていたとは思われない。内村は本質を見抜く力に秀でていたために、プロテスタント信仰を突き詰め、その中でカトリックに対して同情と共鳴を示すこともあった。教会問題に関する内心の揺れに対して、内村は、生涯の終わり近く、プロテスタント主義の徹底を叫ぶことで決着をつけたのだが、いずれにしても内村においてはカトリックは生涯、頭から離れず、悩まされ続けたのではないかと思われる。しかし、賀川には、このようなカトリックとの対決とか、受容といったことは、生涯、明確に意識されていなかったであろう。
 彼はプロテスタントの運命にひきずられ、時にプロテスタントの枠を超えて、新しい時代、新しい世界を待ち望み、そのために奮闘した。それらは巨大な実践となって現れていったが、その動機が、どのようにプロテスタント信仰と結びつくのか理解しにくい面があって、周囲の誤解を招いたこともあった。牧師としての賀川は、彼の出身教会である日本基督教会の平均的な牧師像からは余りにもかけ離れていたために、一部の同僚牧師から軽んじられ、批判もされた。しかし、そこにはプロテスタンティズムの歴史的制約をも超える、彼の先見性があったのではないだろうか。この新世界の預言者としての賀川の中にカトリシズムが潜んでいるのだ。彼を大きく羽ばたかせていったのは、この隠されたカトリシズムが彼の中で力強く働いていたためであった。
 賀川のキリスト教において顕著な特徴は、その社会性である。それは教会内部の社会性といったものではなく、人間全体、人類といったもので、彼は常にこの意識を持っていた。これは、果たしてプロテスタンティズムから自然に流れ出てくる観念なのだろうか。プロテスタンティズムの運命はピューリタニズムや無教会に流れていくのであり、それは分離や個人主義化へと常に向かっている。従って賀川の中に総合への志向、人類全体への視座があるとしたら、ここにはプロテスタンティズムへの反省があるのである。狭い教派主義、信条主義で壁ができているプロテスタント世界の中で、賀川を異様に大きく映し出したもの、それはプロテスタンティズムへの反省としてのカトリシズムの真理契機ではなかったであろうか。
 賀川の謎を解く鍵はどこにあるのだろうか。それは協同組合である、と私は考えている。賀川の社会理論は協同組合主義である。彼は、これが資本主義の弊害を克服する最善の、唯一の道であると考えた。そして、これは資本主義だけではなく、近代の分裂国家群のもたらす弊害をも克服し、新しき中世をもたらすダイナミズムでもあったのだ。
 協同組合は確かに資本主義の弊害を克服する社会理論として現れてきたが、ルネッサンス期のユートピア思想の影響も受け、新しい社会へのロマンチシズムを常に内にたたえていたのである。それは、ヨーロッパ近代が失ったキリスト教共同体(コルプス・クリスチアーヌム)への新たなる再建へと霊感されていたのである。
 賀川は戦後、世界連邦運動に走った。これも、彼の協同組合理論の一つの展開であった。ここにおいては、全人類が一つの共同体に属するという思想が現れている。これは現在、着々と実現されてきているではないか。科学・技術の進歩により、<国際化>の波が怒濤のように押し寄せてきているのが現代社会である。誰も、この力を妨げることはできない。と言うことは、世界連邦とあえて言わずとも、世界は着実にその方向に向かっているのである。
 世界性、国際性、普遍性--こう言った観念が常に賀川の中にあった。私は、これを、彼の中に隠されていたカトリシズムと呼ぶのである。協同組合をキリスト教的に見て、どう評価するか? こういった問題意識は、どうしてプロテスタント信仰の中から生まれてくるのだろうか。しかし、カトリック世界では、社会理論の検討の中で、協同組合には高い評価が与えられている。賀川が協同組合主義者であったが故に、プロテスタント世界では対話の相手を狭めたとすれば、逆に、この思想はカトリック世界では対話の相手を広げるきっかけになるのだ。
 キリスト教は確かに魂の救いが大事である。これはプロテスタントの主張する大切な真理である。しかし、人間は一人では生きていけない存在であり、社会を形成しなければ生存を全うできない。この社会性をプロテスタント信仰の中で、どう位置づけるのか。
 内村はプロテスタント信仰に忠実に生きたが故に社会性を犠牲にし、賀川は社会性に目覚めたが故にプロテスタント世界では異様に映ったと言えようか。そして、この社会性への顧慮、包括的・総合的な視座こそがカトリック的なのである。教皇も、公会議も常に人類全体への視座を持っている。賀川が一般的なプロテスタント意識の中で異様なるものとして映るとしたら、それは彼の中に秘められているカトリシズムの故である。

(注)
 賀川は、どうして日本のキリスト教会から高い理解を得られなかったのか。それは、彼のキリスト教的な、信仰的な論理と世俗的・協同組合的論理との接点が理解できなかったからである。
 もし、世俗的・協同組合的論理をキリスト教的な、信仰的な論理に従属させたら、日本のキリスト教会も理解したであろう。カトリックには、それができたのだが、プロテスタンティズムには、世俗的・協同組合的論理を理解する視点が明確になっていなかったのではないか。
 要するに賀川のビジョンというものが、どうしてキリスト教的であるのか、信仰の隣人たちには、十分に理解できなかったのだ。いや、それはキリスト教的であったにしろ、どうして教会的であったのか分からなかったのだ。
 賀川のビジョンをキリスト教的に位置づけること、これが出来れば、カトリックとプロテスタントとの新しい関係、理解が進むであろう。

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