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2013年9月21日 (土)

角筈女学校のこと

女子独立学校が角筈女学校に改称されたことがあるという。その校長は、加藤勝弥で、創立者の加藤トシ子の子。加藤勝弥は、北越学館の館主であり、内村鑑三は、その教頭であった。不思議な縁である。この学校がどこにあったのか、調べたい。こんな記述があった。(東海大学付属望洋高校の資料だったか)
「1883年にキリスト教徒の教育者である加藤とし子によって女子独立学校として東京都新宿区角筈[1]に開校した。1898年に精華学園となり、翌年には内村鑑三が校長に就任。その後、勝田孫弥が同校を引き受け1910年に精華高等女学校と改称した。戦後の学制改革で精華学園女子高等学校となる。この頃の精華学園は歌手や女優が多く通っていたが、西新宿一帯の再開発のあおりで1969年に新宿区柏木(現在の北新宿1丁目)に移転。更に1973年に千葉県市原市の現在地に移転して精華女子高等学校と改称するなど、変転を辿った。1974年に東海大学と提携し、東海大学総長の松前重義が精華学園理事長に就任した[2]。翌年に東海精華女子高等学校(校長・鈴木哲子[3])と改称し、1977年には「東海大学精華女子高等学校」に校名を変更。1986年には男女共学化に伴い校名を「東海大学付属望洋高等学校」に変更し、現在に至る。学校法人精華学園は一時兄弟校である東海大学付属浦安高等学校・中等部の移管を受け、千葉県内の東海大学学園の運営母体を担っていたが、現在は学校法人東海大学に統合・編入されている。」

★[1]女子独立学校が開設された地は、現在の西新宿1丁目6番地・新宿エルタワーの所在地とのことである。

★[2]松前重義が内村の聖書研究会に参加・師事し、恩師である内村が校長を務めていた縁から精華学園の運営を引き受けたと言われている。

★精華学園には、美空ひばり、星由里子、小川知子、吉永小百合、落合恵子、中尾ミエなどが学んだ。

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