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2013年10月 9日 (水)

ジョナサン・エドワーズの後千年王国説

 『北陸大学紀要』(26号、2002年)に、「ジョナサン・エドワーズの終末論」(村上良夫)という論文がある。そこには、こんな記事がある。
 「さらにエドワーズは、われわれは祈りによって、説教によって、そしてあらゆる伝道の働きによって、キリストの王国の到来を促進し、千年王国の到来を早めることができると信じる」(103頁)
 千年王国の到来は再臨とも関係しているのであろうが、このような言葉は、大衆伝道者であった本田弘慈氏も言っておられた。しかし、本田氏は、エドワーズ同様に千年王国後再臨説の人であったかといえば、いや、千年王国前再臨説の人であったように思う。
 更に、このような記述もあった。
 「通常の歴史を超えた千年王国の到来ではなく、通常の歴史の展開の中での千年王国樹立を言明したエドワーズの思想は、歴史の発見、歴史の意味の発見という意義を有すると考えられるのである」(105-106頁)
 ここにも、後説の特徴が見られるように思う。しかし、それはいつなのであろうか。その時には、当然、再臨があるのであろう。エドワーズは、そのことをどう考えていたのだろうか。教会の通常の活動の彼方に千年王国を期待するといっても、そこに再臨があるのであれば、そこではやはり、通常の教会の歴史が終わるのではないだろうか。エドワーズにおける再臨の転機が、まだよく分からない。
 そんな問いを感じたのだが、それはやがて答えられることになる。千年王国の前に再臨はないのである。ということは、いつから千年王国が始まるのであろうか。千年王国を未来に待望するといっても、その到来の時点をどう理解したらいいのだろうか。それも謎である。

 もう一つ、別の文献がある。それは『アメリカの宗教伝統と文化』(井門富二夫編、大明堂)である。そこでは、「ジョナサン・エドワーズとミレニアリズム」(野村文子)という論文がある。
 「キリストが再臨してこの世を統治するという千年間をミレニアムと呼び、いつか来るとされる未来の正義と平和と自由が世をあまねく支配する千年王国を唱える思想をミレニアリズムと言う」(169頁)
 21世紀に入るころ、この思想に関心が高まったのを覚えているが、アメリカに起きた事件によっ、なにか吹っ飛んでしまったようであった。
 ただ、この本には、面白いことが書かれている。それは飯島徹氏が「西暦2000年頃、千年王国が地上に出現するとエドワーズが考えていた」ことを明らかにしている、という記述である(176頁)。西暦2000年はもう過ぎてしまったが、千年王国は出現したのであろうか。          さて、この後説はエドワーズによる影響が強いらしい。「ピューリタンをはじめ、当時の人々は圧倒的に前千年王国説を信じていたが、18世紀の中頃に後千年王国説に傾いていった。この変化に最も功績があったのは、独立戦争前のアメリカの指導的神学者、ジョナサン・エドワーズである」(178頁)とある。
 この二つの説の特徴を比較して、論者は、こう説明している。
 「救済前の滅亡と破局を預言する前千年王国説は労働者に現実からの撤退を勧め、一方、後千年王国説は労働組合主義や過激な社会改革を正当化する武器に用いられた」(175頁)
 エドワーズと言えば、第一次大覚醒の指導者でもあった。そこでは、異常なことが起きた。やがて、その時は終わったが、それを経験したエドワーズは、逆に通常の事柄を重視して、それに意味づけをする必要を感じたのではないだろうか。こんな記述もある。
 「彼は教会の努力によって千年王国が打ち立てられた後にキリストが再臨するという立場をとり、教会の歴史と千年王国を連続して理解しており、その手段を福音の広がりに求めている」(181頁)
 エドワーズにとって、千年王国はまだ始まっていないのである。千年王国の終わりに再臨があるという。では、いつから千年王国が始まるのか、何がその目印になるのか、その疑問がどうしても残ってしまう。

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