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2014年3月30日 (日)

「人生は旅」と言うけれど

「人生は旅だって言うけれど、旅人にとって大切なことは何だろうか?」
「それは旅のゴールを見失わないことだよ。そのゴールはよいものでなくてはならない。旅そのものがよいと思う人には、それが終わることは悪いことと思われるかも知れないけど、旅がいつまでも続くことはないよ」

「旅の終わりをどうするか、最近は終活って言葉があるけど、それ何?」
「巷では遺言の書き方とか葬儀の仕方とか、いろいろ言われているけど、天路歴程の旅に出ることが終活なんだよ。だから、中には十代で終活を始める人だっているんだ。幼児洗礼の人なんて一番早く始めているんだろうね」

「巷の終活には、違和感を感じないかい?」
「そうだね。死というものが何か軽く扱われているような気がしてね。どこかに旅行に行くための準備のような感じで、死とは、そんなに軽いものだったのかと不思議な感じがしているよ」

「それでも、終活が注目されるのは、意味のあることだよね?」
「それが地上に永住の地はないということを意味しているならばね。我々は天路歴程の旅に出かけなければならないんだ。このような認識が一般化つあるということは素晴らしいことだよ」

「ところで、アブラハムは故郷を捨てた人なんだよね。なぜかな?」
「故郷が魂の安住の地であるなら、故郷を捨てるという動機は生まれないだろうね。しかし、故郷にいて、そこが安住の地でないことが分かった時、人は巡礼の旅に出るんだ。もちろん安住の地を求めてで、その意味では新しい故郷を求めているんだよ。そこに信仰があるんだ」

「ところで、救いの経験をしても、なお試練があるのはなぜだろうか?」
「それは旅はまだ終わっていないという意味だよ。しかし、旅はいつかは終わるんだ。その時は試練もなくなるよ。その時が早く来るよう祈るべきと思うよ。そこに再臨信仰があるんだ」

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2014年3月12日 (水)

内村鑑三の「実験」とは

「内村鑑三の言う実験とは何ですか?」

「まず新生のこと、そして聖化も含まれるでしょう。次に栄化への望みがあります。栄化への望みは未来に関わることなので、実験はないかも知れませんが、それでも望みの果は一つの実験として理解できると思います」

「内村鑑三の言う実験と一般的な実験とは、どこが違うんですか?」

「一般的な実験では実験者が実験台にはならないんですが、内村の場合には、あなたが実験台になりなさいという含意があるんです。内村は、実験について、次のように言っています」

「キリスト教は理論ではなく事実であり、実験である。理論だけでキリスト教を悟ろうとするのは、理論だけで化学を研究しようとするようなものである。理論だけでは、私たちはとうていキリスト教がなんであるかを了解することはできない」

「キリスト教は理屈ではなくして実験でありますから、これを宣べ伝うるためのもっとも有力なる方法は、自己を標本としてこれを世に示すにあります」

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