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2014年4月11日 (金)

ケーベル先生が紹介されました

R・ケーベルの紹介を載せた本が出版されました。『日露異色の群像30-文化・相互理解に尽くした人々-』(長塚英雄責任編集、東洋書店)で、「哲学、西洋音楽の普及に尽くしたケーベル先生」とのタイトルで、小松佑子さん(チャイコーフスキイ研究家)が書かれています。

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2014年4月 4日 (金)

終活、それは今でしょ

「終活ブームって、どういう意味?」
「一つは『楢山節考』が再度、注目され始めたことかな。しかし、それではちょっと暗いと思う人には『天路歴程』という選択もあるよ。人は誰もがやがては死ぬ。それは第一義的には肉体の死のことだけれど、それと共に生きてきた時の希望もなくなり、あるいは絶望状態になる人もいるかも知れない。そのことを今、考えようということなんだろうね」

「終活をどう考えたらいい?」
「モンテーニュは言うんだ、『哲学すること、それはどのように死ぬかを学ぶことだ』。キケロは『哲学することは死の用意をすること』と言っている。だから、終活はある意味では哲学の勧めでもある」

「終活の問題点って何?」
「死を他人ごとのように見て取り組んで いるように思えることかな。終活に取り組む前に、死とは何か考えるべきと思うけど、それがない。まぁ、難題だからね」

「教会には老人の集いなんて、ないの?」
「『ヤング・オールドの集い』というのがあるんだ。最初、若い人と老人の交歓の集いかと思ったけど、ヤングは形容詞と知って、ちょっとびっくり。『いつまでも、お若く』といった気持ちが込められているのかも知れないけど、終活の発想ではないと思うよ」

「ところで、就活の前に終活を始める子供がいるみたいだが、親は心配じょないだろうか?」
「まあ、仏教を始めた人も、考えてみれば、就活の前に終活をしたんじゃないかな。日本には仏教徒は多いから、あまり心配しないかも知れないよ。終活は悟りへの道だよ。一方、キリスト教では、肉体の死の前に、もう一つの死があるんだ。それに関連づけられているのが洗礼。洗礼準備も終活の一つかも知れないよ。それを心配する親はいないでしょう」」

「終活で興味あるもの、何かある?」
「いつかテレビでやっていた入棺体験だね。気持ちが落ち着くと言っていたよ。煩悩離脱の方法だとしたら、座禅ともつながるかもね。一度、体験してみたいものだよ。それに、キリスト教図書館の構想はどうだろうかね。個人所有のキリスト教関係図書を誰もが読めるシステムを考えてもいいんじゃないかな。個人が閲覧可能の図書リストを既存の図書館に提供して、読みたい人に図書館を通して渡せばいいんだよ。個人が亡くなれば、図書は図書館に寄贈すればいい。これも終活の一つかもね」

「終活では遺産が問題になるけど、どうしようか?」
「最大の遺産は、その人がどう生きたかということじゃないかな。金銭なんてものは、それに比べたら微々たるものだよ。ウェスレーは亡くなった時にはあまり遺産はなかったらしいけど、その生き方を通して莫大な遺産を後世に残したと思うよ。遺言を書くのもいいけど、その前に、その人の生活の仕方の方が大事だろうね。それは、狭い特定の人への遺言ではなく、不特定多数の人々への贈り物にもなるんだ。それに触れた後世の人たちの生き方によい影響を与えられれば、それも遺言と思うよ」

「終活って、人によっては生きる意欲を失わせるんじゃないだろうか?」
「いや、違うよ。よく生きることを考えるきっかけを提供しようとするものだよ。生を考えることは死を考えること、逆もそう。単独に一つを、深く考えることはできないよ。終活にかかわる人は死というものを考えざるを得ないけど、その時、死は勝利なんだ、凱旋なんだという考え方があれば、どれほど終活が楽しくなるか知れない。生きることを考えようということは、死ぬことを考えようということとは逆のことのように思えるかも知れないけど、実は同じことなのだという視点の発見が、その人を賢者にするのではないだろうか。その意味で、終活ブームは賢者への誘いであると思うよ」

「終活を終えたら、安心して死ねますか?」
「であればいいけど、残念ながら終活は死が来るまで終わらないと思うよ」

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