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2014年7月18日 (金)

『不干斎ハビアンの思想』(梶田叡一著、創元社)を読む

『不干斎ハビアンの思想 キリシタンの教えと日本的心性の相克』(梶田叡一著、創元社)を図書館で借りた。キリシタン時代の知識人、ハビアンについては、数年前、仏教の僧侶が本を出していて、カトリック側でもあればと思っていたら、梶田氏の本が現れた。

そこには、ハビアンの棄教の意味をカトリック信徒として丁寧に聞こうという思いが感じられた。ハビアンの生き方には内村鑑三とだぶる面があるけど、内村はキリスト教信仰を全うした。ハビアンの時代には、そのような選択はできなかったんだろう。

プロローグに著者の問題意識が紹介されている。同じ思いを持つカトリック信徒は少なくないと思う。

長年の研究の成果をまとめたもので、ハビアンの問いをどう受け止めるか、分かりやすく、詳細に論じている。ところどころに、カトリックの現状への批判ものぞかせている。カトリック思想に関心のある人にはお勧め。

それにしても、最近は、思想的にも強力なカトリック信徒が多く、議論の展開を期待している。

さて。

「梶田さんは著書の中で、ハビアンをどう評価しているの?」
「単なる『棄教者』でもなく『転向者』でもない。自分自身に対して誠実に生きたひとりの日本人、近代的知識人の先駆としてのあり方を示した人、と言ってる。ちょっと甘いかもね。棄教というのは大変なことだと思うけどね」

「梶田さんのハビアン観は甘いの?」
「いや、ハビアンの問題提起を最大限、受け止めようとしているんだと思うよ。その点は大いに評価するんだ。それが、あるいは甘いように見えるだけさ。しかし、信仰には殉教があり、命がけという一面もあると思うんだよ」

「ハビアンの『破提宇子』は正論なの?」
「彼の批判にはキリスト教信仰の謎に関わるところがあるんだ。イヴァン・カラマーゾフの問いにも共通するところがあるよ。人間には分からないだろうね。実験なしの信仰の危ない所だよ」

「ハビアンの問題は現代日本の教会の問題でもあるんじゃないの?」
「確かに。洗礼を受けて数年して教会生活を離れる人が多いというのはハビアンの後追いが多いということかもね。しかし、彼らには『破提宇子』は書けないんじゃないかな」

「梶田叡一氏の書かれたハビアンの本、読んでどう?」
「当時のキリシタンの教えや宣教師の考え方にも問題があったのではないかと指摘しているよ。ハビアンを棄教者として無視、抹殺するのではなく、教会の側の反省を促し、恐らく他の人では書けないような充実した内容になっているよ」

「『破提宇子』をどう見たらいいんだろう?」
「当時は棄教しなかったら殉教するか、隠れキリシタンになるかの選択しかなかったんだよね。だから大部分は棄教したんだ。その時、その選択は間違っていないと納得させる材料になったんじゃないかな。ハビアン一人の告白にとどまらなかったかもね」

「キリシタンの悲劇の原点は秀吉の禁教命だよね。なぜこんなものが出てきたんだろう?」
「プロテスタントの宣教師がどんなに宣教活動したって禁教命は出ないだろうね。外国の国家権力との関係で違いがあるからね。そこがキリシタンの場合は脅威を感じさせた点なんだろう。まあ仕方ないかもだよ」

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