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2016年3月20日 (日)

中世雑感

「あなたの言う『新しき中世』って何?」
「言葉はベルジャーエフ由来だよ。今、思うのは中世思想のギリシャ部分を担ったのはプラトンあるいはアリストテレスだけど、ソクラテスを考えてはどうかな、ということ。それは問うことが大切ということなんだけどね」
 
「あなたは中世を誤解していたんだって?」
「いや、誤解ではないと言う人もいるだろうけどね。中世はキリスト教とギリシャ思想の融合したもので、純粋なキリスト教からは少しずれている、だから宗教改革は、この二つを分離、キリスト教の純粋さを回復したのだ、と思っていたんだ。今でも、そう思っている人はいるだろうよ。まあ、融合という言葉をどう理解するかだけど、別々のものから一つのものが出来たという意味と、別々でありながら、互いに関係している、その関係を指すかの違いはあるんじゃないかな」
 
「西洋中世の精神って何?」
「一方にユダヤ、キリスト教の宗教、もう一方にギリシャの哲学の伝統があり、これらがどう関係するかの取り組みの結果なんだろうね。ギリシャではプラトンをとるかアリストテレスをとるかの違いがあるけど、それらはいずれもソクラテスの問いから始まったんだ。その中で、弟子や孫弟子たちが回答を出す。また、一方ではキリスト教の影響で、啓示が関係してくる。そんな西洋中世のある要素は永遠に妥当するものを持っている、と吉満義彦は言ったが、それが千年王国の本質なのかも知れない」
 
「中世というと歴史的中世への回帰を求めているのかと思われるんじゃないかな?」
「教会の歴史で、公的要素の強かったのは、中世であったと思うけど。近世、近代に至り、宗教の私的性格が強く意識されてきた。信仰箇条の再臨信仰は、結果的には、それへの反省の意味も持つかもね。近代の最先端で、近代を批判する者は、歴史的中世に回帰するのではなくして、新しき中世を志向するのでなくてはならないと思うよ。それは、宗教における公的要素を、どう理解し、取り入れるかという課題かも知れない。その時、歴史的中世を回顧してみれば、それは理性であり、ギリシャであったという洞察が得られるかも知れない」
 
「ところで、哲学って何?」
「第一原因を問うことかな。第一原因を智、問うを愛とみれば、愛智という理性的働きなんだろう。しかし、人間の限界があって、そこに啓示の次元がある。中世は、この関係をとことん考えたんだ」
 
「対立してばかりだと対話ができない場合もあるよね。どうしたらいいかな?」
「互いに排他主義で、相手を決めつけるという姿勢なんだろうね。排他主義を包括主義に変えて、最後の審判を他者に委ねる姿勢が大切。『神学大全』の著者の姿勢は、それだったと思う。中世を一瞥してもよいかと」

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