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2016年4月22日 (金)

伝道について

「伝道の目的って何?」
 
「ヨハネ第一の手紙1・3にあるよ。『わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです』。普通は、人々の悔い改めと考えている人が多いだろうね。しかし、皆が悔い改めるわけではない。そう思うと、努力が報われないと考えるかも知れない。しかし、その前に、神の国の接近を告知しなければいけないんだ。ここに絞れば、伝道はずっとしやすくなるんじゃないだろうか。最近思うのは説明責任という言葉。聖霊に導かれ、教えられて神の国に関する説明責任を果たすことだよ。信じるかどうかは聞いた人の選択で、そこまでの責任はないだろうが、聖霊降臨の後は、そこで起きたことを説明する責任がキリスト者にはあるだろうね。しかし、十字架にかかりながら救われた罪人がいたんだから、どんな人だって救われる可能性を持っている人なんだと思うことが許されているんじゃないだろうか。臨終の手前で救われる人だっているかも知れない。だから伝道の結果がすぐ出ないと言って、伝道をやめるべきではないだろう」
 
「伝道は教会のわざって、どういうこと?」
 
「クルセードとかトラクト配布とか、それが伝道と思っている人がいるかもね。しかし、信仰を持った人は、それだけでは不安定なんだ。命は誕生したら成長しないとおかしなことになるんだ。その成長の条件が教会なんだよ」
 
「伝道は大切だけれど、伝道された人たちに対する責任だってあるよね?」
 
「そこが超教派伝道団体の課題だろうね。回心者を教会が受け入れる必要があるけど、うまくいかない場合が出てくる。ウェスレーや、救世軍を創立したブースの場合に、そんな問題があるね」
 
「ISの登場で十字軍という言葉がニュースに出てくるけど、どう?」
 
「ビリー・グラハムの伝道集会をクルセードと言ったけど、それが十字軍という意味なんだ。イスラム教徒には嫌な言葉で、使わなくなったけど、その人たちから十字軍、クルせードという言葉が復活したというのは皮肉な話に思えるよ。歴史を中世に引き戻すつもりかな」
 
「クルセードって十字軍のこと?」
 
「キリスト教の大衆伝道に、その名前を使っていたんだ。しかし、歴史的には聖地奪還を掲げたイスラム教徒との戦いを連想するしね。十字軍側の行き過ぎもあったし、イスラム教徒には忌避感もある。最近は使わなくなったよ」
 
「おもてなし、という言葉が流行したけど、他にも日本語にはいい言葉があるね。例えば?」
 
「おすそわけ、ってのもあるよ。伝道というのは幸せのおすそわけなんだよ」
 
「ところで、伝道と再臨は関係あるんじゃないの?」
 
「再臨を早めるための伝道という見方があるんだよ。大衆伝道者の本田弘慈氏が、『聖書には福音が伝えられてから終わりが来るとあるので、福音宣教は終わりを早めることになる』と言っていた。再臨信仰が伝道と結びついているんだけれど、こんな指摘もあるんだ。内村鑑三が再臨信仰を持ったきっかけはD.C.ベルから送られた"Sunday School Times"に掲載された再臨関連の論文だった。しかし、再臨運動が終わり、内村はその雑誌の購読を中止したらしい。進化論観、伝道観の浅薄が理由だというんだ。富岡幸一郎著『内村鑑三』(中公文庫)にあるよ」

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