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2016年7月 5日 (火)

統一教会と再臨論

「統一教会を始めた文鮮明氏のことを再臨主って言うらしいけど、どういう意味?」
「詳しく説明した動画が公開されているよ。イスラエルの歴史と教会の歴史を比較して論じているあたりは興味深いけど、イスラエルの預言でまだのものへの無視があるので、置換神学かなとも思うよ。独自の解釈だけど」
 
「統一教会は名前を世界平和統一家庭連合に変えて存続しているけど、どういう意味があるんだろう?」
「統一教会は独自の再臨観を持っているよ。空中再臨や携挙を認めず、地上再臨だけなんだ。空中再臨の時、信者に、その現れた存在を選択する余地はないんだ。しかし統一教会は、既存の教会に、それを求めてきたのだから、食い違いがあるんだ。しかも、統一教会は置換神学だから、今は自分たちの団体がキリスト教会の後継と見ているかもね。再臨主という言葉は既存教会に向けられた言葉だったんだ。既存教会が、この言葉を受け入れたら、そこに地上天国が出来ると言っていたけど、そうはならなかった。だから統一教会の今の歴史は地上天国ではなく、再再臨主を待望することになるんじゃないかな」
 
「統一教会は置換神学だろうって、どういうこと?」
「既存教会は文鮮明を再臨主と認めなかったということを、統一教会側も認めて、そこから自分たちの歴史を作っているからさ。一時は、統一教会は、既存既存に自らを認めさせようと強烈に働きかけたことがあったんだ」
 
「イスラエル建国は預言の成就という解釈を聞くけど、どうなんだろうか?」
「恐らくそうなんだろう。それを認めるとディスペンセーション主義になるけどね。独自の解釈をしている統一教会は置換神学なんだから、イスラエル建国には関心がないんだ」
 
「統一教会の創立者、文鮮明が再臨主ではないと思っているらしいけど、どうして?」
「統一教会では、再臨を初臨と同じように考えているからさ。ユダヤ人が教会に変わっているけどね。しかし、再臨の時には教会には選択の余地はないよ。教会の中におられる聖霊は再臨主を否定できない。三位一体だから。それに、文鮮明の伝記の中に、16歳の時、祈祷中、イエス・キリストと霊通し、再臨主の使命を継承するようにと召命を受けたとあるんだ。それは文鮮明はキリストではないと、自ら言っているようなものじゃないか。統一教会では、創始者を再臨主って言っているけど、どんな意味なんだろうか。これが教会の再臨のキリストなら、礼拝の対象になるよ。統一教会の人たちは創始者を礼拝しているんだろうか。していないと思うけどね。しかし、再臨に関して、問題提起し、再考を促しているのは、教会としては受け止めた方がいいと思うけど」

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