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2017年1月16日 (月)

原理主義

■「原理主義者にないのは何だろうか?」
「対話する能力かな。キリスト教では、最初は米国で自由主義の信仰を批判する言論活動として始まったんだ。そこには反論という対話があった。けど、イスラム原理主義にはそれがない。だから、対話の場の再建が大切だよ」
 
■「キリスト教原理主義や聖書の逐語霊感説に対する批判があるけど、どうなの?」
「批判される文脈があるのかも知れないけど、これは経験しないと分からないだろうね。それらはカルトの原因と断定されると、それはちょっと違うかもね。福音派はカルトじゃないからね」

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2017年1月14日 (土)

再臨主

■「統一教会(旧名)の再臨主には、あちらに誤解があるんじゃないの?」
「キリスト教会は空中再臨を待っているんだ。その時の携挙に教会の選択の可能性なんてない。地上再臨の時には、その地は韓国ではなくてイスラエルなんだよ。そのへんの誤解、混乱があるんじゃないかな」
 
■「あなたにとっての、後世への最大遺物って何なの?」
「それは復活して再臨するイエス・キリストを伝えること。復活だけでなく、再臨も大事なんだ。再臨主がいるという情報は、再臨信仰を少しは考えよという意味に理解している。だって、本当の再臨だったら、教会全体が認めるから」
 
■「再臨主を名乗る人が何人もいるらしいけど、どう思う?」
「ロマ書に、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことはない、と6章9節にあるんだ。再臨主は死んではいけないんだ。しかし、みんな死んでいくと思うよ。あの韓国人も亡くなったしね」
 
■「至福直観って何だろう?」
「再臨のキリストを見つけることじゃないだろうか」

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2017年1月13日 (金)

イスラエル建国

■「イスラエル建国はキリスト教信仰にとって何か意味あるの?」
「以前、それを言う人はあまりいなかったけど、最近、ネットでの伝道メッセージを聞くと、みんな、それを指摘しているんだ。何かが終わり、何かが始まるしるしとして、考え直す必要があるかも知れない」
 
■「あなたにとって、ディスペンセーション主義って何なの?」
「聖書観で置換神学に対立する考え方だよ。置換神学だとユダヤ人に対する祝福はキリスト教会が受け継いでいるので、ユダヤ人の使命は終わったと考えるけど、そうだとイスラエル建国の意味は見えてこないんだ。無視はできないと思うけど」
 
■「初代教会で、ユダヤ人クリスチャンの割礼派の主張がパウロに批判されたけど、現代のユダヤ人クリスチャンであるメシアニック・ジューには、その傾向はないんだろうか?」
「さあ、どうかな。クリスチャンなら、どこかの歴史的キリスト教会に所属する必要があるだろうけどね」
 

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千年王国について

■「セブンスデー・アドベンチスト教会の問題提起をどう思う?」
「解釈の問題は残るけど、再臨信仰の強調には異論はないよ。安息日問題では、ガラテヤ書でのパウロの憂慮を考えるけどね。パウロの相手はユダヤ教徒ではなくて、律法主義的キリスト教徒だったんだよね」
 
■「千年王国の諸説をどう理解したらいいんだろうか?」
「鍵は時代背景かも知れない。最初の教会は千年王国前再臨説だった。アウグスチヌスも最初はそうだったけど、後で無千年王国説に変わった。彼の時代にキリスト教が国教になったが、無説が一番合っていることは理解できるよ」
 
■「千年王国をカトリック教会はどう理解しているんだろうか?」
「フランシスコ会訳聖書の注だと、ローマの大迫害の終わりの時から キリストの再臨までとなってる。しかし、アウグスチヌスの無千年王国説を採用したと言われているけど、それだと教会時代に重なり、開始の時がずれているんじゃないかな」
 
■「千年王国後再臨説と無千年王国説は違うの?」
「一応は違うんだろうけど、千年王国後再臨説だと、どこから千年王国が始まったのかが問題になるだろう。カトリックだと公式には無説だけど、フランシスコ会の聖書だと、キリスト教公認あたりから千年王国が始まっているんだ」
 
■「千年王国はキリストの地上再臨があって、それから始まるの?」
「今、そう言う人が多いかもね。しかし、無千年王国だと、今が千年王国だ。『千年王国を夢みた革命』(岩井淳著、講談社選書メチエ)だと、17世紀英米のピューリタンに関心が高かったらしいよ。参考になるかも」
 

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2017年1月12日 (木)

現代を問う

■「西洋中世は暗黒時代と言う人がいるけど、そう思う?」
「ルネッサンスを光の到来と見る歴史観では、そう見えるんだろう。その影響で宗教改革も始まった。しかし、中世の内容はギリシャの哲学とユダヤの宗教、キリスト教の関係で成り立っているんだ。理性と信仰の関係だよ。これは今の問題でもある」
 
■「トマス・アクィナスへの疑問ってある?」
「ある。それは、明確な神体験が晩年にあるんだけど、なぜ晩年なのかということ。パウロやアウグスチヌスには明確な回心体験があって、それからキリスト教の活動を開始しているけど、そんな回心がトマスにあったんだろうかと考えちゃうんだ」
 
■「キリスト教的ヒューマニズムという言葉に出合ったけど、二つは対立するんじゃないの?」
「キリスト教は神中心、ヒューマニズムは人間中心と見れば、そうかもね。しかし、神中心が人間中心を破壊に導くのではなく、その完成に導くんだという視点があってもいいと思うよ」
 

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2017年1月11日 (水)

日本の伝道

■「日本で、キリスト教の伝道が進まないのはどうしてだろうか?」
「キリスト教を世界観、歴史観として説明できていないからじゃないかな。救いを新生に止めているか、あるいは聖化まで進めているか、その程度で伝道しているんじゃないかな。黙示録まで進まないとだめなんだろうね」
 
■「日本に神道や仏教があるのはキリスト教の伝道にとって壁なんだろうか?」
「そう考える人は多いかも知れないね。けど、理解が進むと、意外に似ているところに気づくかも知れない。伝えられたキリスト教には、そんな要素は皆無。だから、日本はキリスト教にとって新しい経験の場だよ」
 
■「キリスト教と言っても教派が多くて、どれを選んだらいいのか迷っちゃうよね。どうしたらいい?」
「最初は福音の根本的な教えを受け入れて信仰を持つんじゃないかな。そのうちに教えの解釈の多様性、教派問題にぶつかる。それは今でも教会全体の問題、課題なんで、あなただけの問題ではないよ」
 
■「キリスト教概論とかキリスト教問答とかあるけど、それらを学べばキリスト教が分かるんだろうか?」
「ある程度は分かるけど、自分に意味ある学びは聖霊に導かれ、教えられるんだから、聖霊降臨の出来事が自分にも起きなければならない。それが深く知るためには不可欠」
 
■「教会の概念に、いくつかあるって、どういうこと?」
「キリストのからだとしての教会、それに、漁師の網としての教会だよ。見えない、見える、という区別もあるよ。それをごっちゃにはできないだろうけど、教会と言っているんだ」
 
■「一神教の抱える難問って何?」
「一神教はキリスト教だけではないよ。ユダヤ教もあるし、イスラム教もあるんだ。パウロのサウロ時代はどうだったか。イスラム教との関係では中世に十字軍があり、その反省からドミニコ会ができた。イスラム教との関係は現代の問題でもあるよ」
 
■「キリスト教関連の動画の中には、新生の瞬間にまで導く内容のものもあるけど、どう?」
「実際に、その瞬間を経験する人がいるかも知れないよ。しかし、その後が問題。教会の交わりが必要なんだけど、それをどうするかが課題。新生はしたけれど、ほっといたら、とても危険だ」
 
■「内村鑑三はキリスト教以外の宗教でも関心持たれているの?」
「幸福の科学の出版社から、内村鑑三の伝道論の本があったよ。内村の言葉をまとめただけで、著書の考えを知りたかったけど、なかった。どういうつもりなのか、批判ではなく、評価の結果かな」
 
■「ヨナのしるしって何だろう?」
「ヨナが大魚の中にいたけど、そこから出たことが、イエスの死と復活のしるしと見ているんだろうね。しかし、ニネベの人たちの悔い改めも、あるいは異邦人の悔い改め、すなわちキリスト教会の誕生と発展を意味しているのかも知れない。最近、気づいたんだけど」
 

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2017年1月 7日 (土)

終活

「終活で、何が大事?」
「あなたの見ている人が困らないように、それが一般的な動機なんだろう。しかし、あなたは気づかないだろうけど、あなたを見ている人も大勢いるんだ。そういう人に何を残すかも大事なテーマなんだ。要するに、後世への最大遺物を考えることだ」
 
「終活の課題って何かな?」
「葬儀の仕方とか遺産の処理とかが一般的かも。しかし、後世への最大遺物を何にするか考えることかもね。それは、今、どう生きるかだけど、それが遺産になると気づかない人が多いだろう。自分の生き方が他人にどんな影響を与えるか、自分には分からないから」
 
「今日も救急車の出動があったけど、終活にお勧めの本はある?」
「『こわくない』(立花隆著、文藝春秋)がいい。分かりやすく、死の問題を扱っている。死を絶望から希望に転換することが、終活の課題だろう」
 
「『その日、その時は、だれも知らない』。その聖書の言葉の意味は何?」
「再臨の時なんだろう。しかし、それをテーマに説教するのは難しいよね。だから、すべての人が必ず経験する自分の死に置き換えて、話すのかも」
 
「クリスチャンにとっての終活のゴールはどこ?」
「パウロの、あの心境かな。『今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです』(第二テモテ4.8)。人は誰もが死に向かって進んでいるけど、どんな心でいるべきか、それが大切だよ」
 

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宗教改革500年

「今年は宗教改革500年だそうだけど、何かいい企画ある?」
「日本で再現したらどうかな。ルターの95カ条の提題を一つ一つ取り上げて、応答する。95カ条が何か、知らない人も多いんじゃないかな。宗教改革の、現代における意味あるいは無意味が分かるかもね」
 
「創文社の『神学大全』の翻訳が全部完了したらしいけど、感想ある?」
「現代の『神学大全』を誰か書いて欲しい。トマスのは中世のもので、時代は変わっているからね。宗教改革とかイスラエル建国とか、現代版では不可欠の項目だろう」
 
「ところで、宗教改革って何だったんだろうか?」
「普通は信仰義認という福音の再発見の時と教えられると思う。それはそれでいいかもだけど、その他、プロテスタント教会ができたこともある。それに、世界宣教が始まったんだ。ザビエルが日本にまで来たのも、その影響かも知れないしね」
「信仰義認の教えが福音の核心という主張で、教会が割れたんだよ。しかし、今では双方が、この点では合意しているから、宗教改革の意味を他に探す必要があるかもね。それは世界宣教の新しい開始だったんじゃないかな。それも間もなく終わるかもだけど」
「信仰義認の再発見、教会を初代教会に戻す試みなど、いろいろ言われるけど、世界宣教の新しいスタートだったんじゃないかな。教会の分裂は不幸だけれど、一方、宣教の前進は大きな価値じゃないかな。イエズス会が出来て、日本にも福音が来たんだから」
「福音を西洋から世界に広げるためだったんじゃないだろうか。その結果を我々は今、見ているんだ。そして、その時代が終わろうとしている、そのしるしがイスラエルの建国じゃないだろうか」
 
「教会の分裂には意味があったんだろうか?」
「東西教会の分裂、それに宗教改革があったけど、それによって福音が世界に伝わった一面を無視できないだろうね。ザビエルの来日だって、その影響を無視できない。今は、教会一致が課題だけど、ユダヤ人問題とからめたら前進するかも知れないね」
 
「宗教改革は信仰義認の再発見と印刷によって進展していったんだよね。伝道は大宣教命令で全時代の使命だろうけど、手段は各時代で変わってくるね。今は何だろう?」
「インターネット、それに動画かな。内容は預言解釈をからませると、注目度は変わってくるよ。預言解釈を専門にしている教会もある」
 
「動画で強力な伝道を展開している人が何人もいるけど、どういう教会の人なんだろうね?」
「福音派なんだろう。福音派はカルトとみなす人もいるけど、全部をそう言い切ることはできないだろう。宗教改革の時は印刷術の登場で進展したけど、現代は動画で福音宣教が進展しているようだ」
 
「プロテスタント教会にも宗教改革があるんだって?」
「こちらは比喩だけど、日本基督教団から、戦後、離脱する教会が続いて、新しい教団を作っていった、その時なんだ。日本基督教団は公会主義で、教派主義の弊害の反省を内包しているんだ。戦争という外圧に屈したともいうけどね」
 
「民主主義はキリスト教の伝統なんだろうか?」
「そう思っている人が多いかもね。それに反対するつもりはないけど、民主主義の源流をルネサンスとすれば、宗教改革は、その後、始まったんだから、キリスト教は民主主義とは別の原理を持っているかもね。しかし、否定する原理ではないよ」
 
「近代日本での、多くのキリスト者のうち最大の人物は誰だろうか?」
「私は内村鑑三だと思う。彼が『第二の宗教改革』と言った時、ルターに匹敵する重要な地点に立ったんじゃないかな。無教会はプロテスタントの中に位置づけられていても、それを超える洞察が与えられたんだ」
 
「内村鑑三の『紙上の教会』の現代的展開って何?」
「『ネット上の教会』かな。それが何であって、どういう効果があるか、何が可能になるのか、考えてもいいかもね。彼は第二の宗教改革、近代批判を言っていたから、新しい時代の到来を待望していたんだ」
 
「歎異抄をキリスト教の中で位置付けたら、どうなるだろうか?」
「法然がルター、親鸞をカルヴァンとすれば、宗教改革後の様々な教派に対する正統信仰による弁証の書かもね。カルビニズムには、そういう意識は強いと思うけど。日本では岡田稔著『改革派教理学教本』などあるよ」
 
「現代において宗教改革をやるとしたら、そのテーマは何になるんだろうか?」
「最初のテーマは信仰の最初に関するもので、あの時に分離した相手の教会とも大体合意が出来ているから、別のテーマでないとね。それは信仰の最後のテーマかもね」
 

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2017年1月 6日 (金)

人生雑感

「人生とは何か考えてみようか?」
「誰にとっても大切なことだからね」
 
「人生の目的って何だろう?」
「成功の法則を見出し、それを実験してみることかな。その法則を見出したら、誰でも実験してみたくなるだろう。けど、人に知らせるのは成果が出てからの方がいいかも。安売りする必要はないよ」
 
「人生の目標に自己実現を挙げる人がいるだろうけど、どうしたらいいかな?」
「自己認識を深めることが大切かもね。そのためには自分を対象化しなければならない。しかし、現在の自分を対象化することは出来ない、出来るのは過去の自分だけ。その時に思い出されてくる記憶の意味を探すこと」
 
「人生は実験という時、実験ってどういう意味かな?」
「信仰のもたらす新しい要素への勧めの意味なんだろうけど、同時に、その要素の人生への適用の意味もあるかもね。真理を見出したら、誰でも証明したくなるよね。自分の人生で証明したらどうという意味もあるかもだよ」
 
「よく『信じて救われた』って言うけど、救われたなら、もう人生の課題は残っていないんじゃないの?」
「いや救いの説明という課題が残っている。そのためには、そういう話を聞いてみるといいよ。この点が割合、おろそかになっている場合が多いんだ。ある意味では救われているけど、まだもあるんだ」
 
「人生は数独に似ているって、どういうこと?」
「鉛筆と消しゴムが大切ということ。消しゴムをよく使わないと、なかなか迷いの世界から抜け出られないよ。あと謎解き。夢中になれるし、解けた時、快感、満足感がある」
 
「巡礼にとって大切なのは何かな?」
「人は誰でも生まれたら人生の巡礼になるんだ。その巡礼の目的地は一応は死だから、やはり死とは何か考えておく必要があるだろうね。最近はいろんな本が出ている。一般の関心が高いんだろう」
 
「人生は楽もあるけど苦もあるよ。苦の対処方法を考えるべきじゃないだろうか?」
「仏教は開祖の悟りで始まったけど、悟りに向かう動機は苦の対処方法を知りたいということだった。苦には霊的なものと肉体的なものがあるよ。大事なのは霊的な苦への対処方法で、十字架と再臨がその方法だ」
 
「画家というと、特定の人を指すけど、ある意味で、人は皆、画家と思わない?」
「そうだね。人は、誰もが人生というキャンバスに自分なりの絵を描いているんだろう。そう自覚していないだろうけど、その絵を周囲の人が見ているんだ。何を描くか、よく考えた方がいいよ」
 
「人生の失敗は消し去ることができるんだろうか?」
「過去を変えることはできないだろうね。ただ、失敗に意味が与えられるなら、その悔しい気持ちはなくなるかも知れない。失敗に向き合うには、それしかないんじゃないかな。失敗には罪があると思うけど、神の栄光が現れるためなら、くよくよしない」
 
「罪って何だろう?」
「神の意志が示されて、それに従わないこと。だから神の意志の明示が前提なんだろう。その罪の結果を見る時、その後の人生の特徴はボタンのかけ違いかも知れない。ボタンをかけても、どこかが違う気がしてやり直すことの繰り返しになるんだ」
 
「雑誌なんかで終活の特集をよく見るけど、どう?」
「終活のゴールは、自分の人生はこれでよかったという思いじゃないかな。もちろん、具体的な課題の処理は大切だけど、この世に未練が残るなら、終活は終わらないんじゃないかな」

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