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2017年1月 6日 (金)

人生雑感

「人生とは何か考えてみようか?」
「誰にとっても大切なことだからね」
 
「人生の目的って何だろう?」
「成功の法則を見出し、それを実験してみることかな。その法則を見出したら、誰でも実験してみたくなるだろう。けど、人に知らせるのは成果が出てからの方がいいかも。安売りする必要はないよ」
 
「人生の目標に自己実現を挙げる人がいるだろうけど、どうしたらいいかな?」
「自己認識を深めることが大切かもね。そのためには自分を対象化しなければならない。しかし、現在の自分を対象化することは出来ない、出来るのは過去の自分だけ。その時に思い出されてくる記憶の意味を探すこと」
 
「人生は実験という時、実験ってどういう意味かな?」
「信仰のもたらす新しい要素への勧めの意味なんだろうけど、同時に、その要素の人生への適用の意味もあるかもね。真理を見出したら、誰でも証明したくなるよね。自分の人生で証明したらどうという意味もあるかもだよ」
 
「よく『信じて救われた』って言うけど、救われたなら、もう人生の課題は残っていないんじゃないの?」
「いや救いの説明という課題が残っている。そのためには、そういう話を聞いてみるといいよ。この点が割合、おろそかになっている場合が多いんだ。ある意味では救われているけど、まだもあるんだ」
 
「人生は数独に似ているって、どういうこと?」
「鉛筆と消しゴムが大切ということ。消しゴムをよく使わないと、なかなか迷いの世界から抜け出られないよ。あと謎解き。夢中になれるし、解けた時、快感、満足感がある」
 
「巡礼にとって大切なのは何かな?」
「人は誰でも生まれたら人生の巡礼になるんだ。その巡礼の目的地は一応は死だから、やはり死とは何か考えておく必要があるだろうね。最近はいろんな本が出ている。一般の関心が高いんだろう」
 
「人生は楽もあるけど苦もあるよ。苦の対処方法を考えるべきじゃないだろうか?」
「仏教は開祖の悟りで始まったけど、悟りに向かう動機は苦の対処方法を知りたいということだった。苦には霊的なものと肉体的なものがあるよ。大事なのは霊的な苦への対処方法で、十字架と再臨がその方法だ」
 
「画家というと、特定の人を指すけど、ある意味で、人は皆、画家と思わない?」
「そうだね。人は、誰もが人生というキャンバスに自分なりの絵を描いているんだろう。そう自覚していないだろうけど、その絵を周囲の人が見ているんだ。何を描くか、よく考えた方がいいよ」
 
「人生の失敗は消し去ることができるんだろうか?」
「過去を変えることはできないだろうね。ただ、失敗に意味が与えられるなら、その悔しい気持ちはなくなるかも知れない。失敗に向き合うには、それしかないんじゃないかな。失敗には罪があると思うけど、神の栄光が現れるためなら、くよくよしない」
 
「罪って何だろう?」
「神の意志が示されて、それに従わないこと。だから神の意志の明示が前提なんだろう。その罪の結果を見る時、その後の人生の特徴はボタンのかけ違いかも知れない。ボタンをかけても、どこかが違う気がしてやり直すことの繰り返しになるんだ」
 
「雑誌なんかで終活の特集をよく見るけど、どう?」
「終活のゴールは、自分の人生はこれでよかったという思いじゃないかな。もちろん、具体的な課題の処理は大切だけど、この世に未練が残るなら、終活は終わらないんじゃないかな」

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