2016年7月 3日 (日)

続・中世雑感

「中世再考と言ったって、暗黒の中世って習ったし、その印象が強いから、振り返る動機がなかなか出てこないんじゃないの?」
「近世、近代の方が身近なんだ。それはそれでいいんだ。近代の反省があれば、それが中世再考の動機になるんだ」
 
「『新しい中世』って、今でも有効な概念なの?」
「世紀の変わり目の時、そんな本が何冊か出ていたね。最近、内村鑑三の研究者の一人が新聞への寄稿で、その言葉を使っていて、ちょっと懐かしかったよ。内村には近代人への批判はあるけど、中世回帰への志向はなかっただろうけどね」
 
「内村鑑三の近代批判は分かるけど、じゃあ次の時代はどうなの?」
「ヘーゲルの弁証法的歴史観から考えれば、中世と近世の総合されたもの、その意味では新しい中世かもね。その時代を招来するのは、中世の神学者トマス・アクィナスかもよ。方法は彼の『神学大全』のやり方だよ」
 
「カトリック教会では、かつて中世の神学者トマス・アクィナスが重視された時代があったけど、第二バチカン後はどうなんだろうか?」
「異端に対する正統信仰の立場が、かつての見方だったけど、今では異説、異論との対し方で、なお見習う点があるだろうね」
 
「ところで宗教改革をどう思うの?」
「大雑把に言えば、中世のキリスト教への不満。特にギリシャ思想と混ざり合って純粋性が失われたと見た。その前のルネサンスはギリシャに帰れと言い、宗教改革はギリシャを排除せよという。ではギリシャとは何か、それが問題。異教なのか理性なのか」

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2011年4月27日 (水)

「新しき中世」

中央公論社の「世界の名著」第14巻『アウグスティヌス』(責任編集・山田晶)の附録として、山田晶・遠藤周作の対談がある。その中で、遠藤が「新しき中世」という言葉を使っている。

「ご存知のように、吉満宣せははそのころジャック・マリタンにしたがって、「新しき中世」--近代の行きづまりということを考えておられた。「近代の超克」という座談会で、小林秀雄さんや亀井勝一郎さんなどとも、そうしたテーマで話しておられたこともあった。だけどそのときは、ぼくらには西欧的な近代というものがないではないか、と考えていましたね。吉満先生やマリタンは、中世が輝かしき時代であったといいますし、それはたしかに一面ではそうでしたでしょうが、西欧的中世がない日本に、近代が行きづまったから中世へかえれといっても、ピンとこなかった」

「新しき中世」の言葉の出所は、私の場合は、ベルジャーエフであるが、マリタンも使っていたという。遠藤は、ここで、この言葉に関連してマリタンや吉満を批判しているが、二人は、歴史的中世に帰れといったのだろうか。そうではないと思う。そのような発言も、二人にあったように思う。

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2011年3月 4日 (金)

中世と近世

西洋16世紀の宗教改革はユダヤとギリシャの分離であった。ルターのアリストテレス観にも、それがうかがえる。キリスト教を異教(ギリシャ)から分離し、その純粋(ユダヤ)を求めるものであった。ユダヤは信仰の立場、ギリシャは異教の立場、という見方だ。今でもプロテスタント的な見方の根本にあるのではないであろうか。

しかし、ギリシャを異教としてではなく、理性の立場と見た時、少し見方が変わってくるかも知れない。理性は、人間の本質的規定であり、それを否定することはできないからだ。

信仰と理性との総合でもあった中世が崩壊し、近世が始まったが、その発端を作った国で、新しい総合の試みが始まった。それはドイツであった。

ドイツに関する関心は哲学・思想にあった。カントからヘーゲルまで、ドイツ哲学の栄光は神を問うことであった。ギリシャでは、形而上学というかたちで、神を問うたが、一度、中世を経験してからは、そのような抽象的な神ではなく、もっと具体的な神が論じられるようになった。すなわち、キリスト教の神が問われている。

中世解体における信仰と理性の分離に対して、ドイツ哲学の中で新たな総合の試みが見られた。「ギリシャに帰れ」のルネサンスの訴えは、近世を開き、近代を通り、現代にまで至っている。しかし、ギリシャ一辺倒では満足できないことを西洋の人たちは知っている。その意味では、宗教改革の地、ドイツで、新しい中世が志向されていたと言えるかも知れない。それが、遠い地にいる我々の心を強烈に引き付けたのである。

中世というのは、やはりローマ・カトリック教会のふるさとであろう。近世から、あるいはプロテスタントからカトリックを見た時、いろいろな疑問が生まれてくる。しかし、ローマ帝国の中でキリスト教が公認され、やがて国教となっていく過程から見た時、カトリック教会を理解する目が与えられるのかも知れない。この教会の理解のためには、ユダヤだけではなく、ギリシャもローマも必要のように思える。一体となった総合ではなく、秩序の中での多様性の関係づけとして見たらよいのではないだろうか。

歴史的中世は、この信仰の故郷でもある。しかし、それに固執するのは、当時と環境の激変している現代においては、本当の信仰から離れるかも知れない。カトリックの中には、第2バチカンを超えられない人もいた。しかし、中世のトマス・アクィナスを学び続けたカトリック思想家・吉満義彦は超えることができたように思う。なぜなら、彼は歴史的中世に固執せず、それを生み出しつつ、それを超えている中世的原理を見ていたからである。「近代の超克」にも、それが現れている。

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2011年1月11日 (火)

中世志向

プロテスタントの挑戦への対抗の意味もあったカトリックのトリエント公会議では聖書の傍らにトマス・アクィナスの『神学大全』が置かれていたという。しかし、トマス本人が臨席していたら、違った結果になったのではないだろうか。トマスは、最大限、対話を可能にする精神であったと、その主著を読んで感じる。

トマスの教説の護持と、その精神の継承とは違うように思う。前者は過去の中世を見ているが、後者は新しき中世を見ている。

歴史的中世の繰り返しは不可能であるとは、トマス再考を促していたジャック・マリタンも、また吉満義彦も言っていたと思う。過去ではなく、未来を、将来を考えなければならない。

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2010年12月 3日 (金)

もう一つの中世

これまで我々にとって中世とは西洋のそれであった。その要素としては、ギリシャ、ローマ、ユダヤがあった。ギリシャは、人間の内面(哲学・宗教)のこと、ローマは外面(法律)のこと、そして、ユダヤは超越の契機であった。この三つの要素がうまく関係しあって、西洋の中世はできたといわれてきた。あるいは、それにゲルマンを付け加えるべきかも知れないが。このような中世ではキリスト教の教えが支配的であった。

そのような中世をもう一度、復興させるべきなのであろうか。吉満義彦がフランスに留学して、教えを受けたジャック・マリタンの志向の中には、そんなものがあったかも知れない。「新しき中世」は、その交わりの中にいた亡命ロシア人哲学者、ベルジャーエフの言葉ではあるが、当時は、よく使われた言葉らしい。

遠藤周作が聖フィリッポ寮(現在の真生会館)の寮生であった時、吉満は舎監であった。その時、二人の間に交わされた会話が遠藤の文章の中に残されている。吉満の中世志向に対して、遠藤は、日本には、そのようなものはないと、批判的な思いを抱いていたという。しかし、吉満は、かつての中世に戻るのではなく、新しく創るのだといったという。かつての中世における永遠なるものを思いつつ、新しい中世を創造していく、それが吉満の願いであったのだろう。

今、経済成長に関しては、中国とインドが注目されている。日本人の関心は西洋よりも、アジアに向けられている。21世紀はアジアの世紀になるのであろうか。その時、かつての西洋の中世と対比して、アジアの中世を構想したら、どうなるのであろうか。

ローマに対して中国、それは外側の整備。ギリシャに対してインド、それは人間の内面の探求、そうするとユダヤの役割は日本に向けられるのだろうか。

日本には、歴史を見れば、中国もインドも流れ込んでいる。徳川時代の儒教の教えは中国からであり、それ以前、聖徳太子の時代からインドからの仏教は国民の中に深く浸透している。これら両者を受容しつつ、かつ超越する契機、それがあるとすれば、それが啓示の要素であろう。すべてを受容しつつ、超越する契機としての「啓示」の要素を提供できれば、あるいは、それが日本の使命かも知れない。そして、それはアジア版中世の要になるかも知れない。

残念ながら、そんなことに関心を抱く人はいないけれど。

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2010年4月 4日 (日)

千年王国の終焉

千年王国の終焉が、あるいは、あの16世紀ではなかったのだろうか。宗教改革とルネサンスが、中世の崩壊を進めた。その中で、「歴史的」千年王国も終焉した。しかし、その原理は、なくならなかった。その原理の中で、新しい千年王国の探求が始まったが、そこに、あるいは協同組合運動の根本理念も重なっているのではないだろうか。

新しき中世は、歴史的中世の再興を目指しているのではない。その千年王国的原理の中で、まさに、新しい世界を求めている。そこにキリストの再臨がある。

再臨の後に千年王国があるとすれば、その再臨はまだ終末ではない。しかし、千年王国が終焉したとすれば、その時点で祈り求めている再臨とは、まさに最後の時を指している。

千年王国前再臨説の中での、再臨希求は、その意味では、なお、徹底的終末観に立っていないといわざるを得ないのではないだろうか。そこでは、真の終末は、なお、長い時(「千年」)を経たあとの事柄であるように思えるのである。

形而上学的中世原理とは世界観の問題であり、歴史観の問題でもある。世界観とは、統合原理のことであり、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」も、その核心を捉えようとしているように思える。プロテスタントとカトリックとの対立というものは、その本当の意味は何であったのだろうか。絶対対立ではなく、何かが、その対立から、飛び立っていくのが、その目的であったのではないだろうか。

歴史観とは、現代の見方の検証を意味している。近世、近代、現代と続く歴史の中で、その関係を見定めていく時、歴史的意識が形成されていく。かつて、「近代の超克」という座談会があり、今も注目されている。一人の論客、吉満義彦も、参加している。しかし、彼の議論の展開のためには、なお、共鳴者が少なかったと思う。そこで、彼が指摘したこと、近代の問題性は、内村鑑三の指摘していたでもあろう。そんな近代を超えるもの、それは、歴史的中世回帰ではなく、新しき中世への創造である。そこに、キリストの再臨がある。千年王国は、その歴史観では、既に終わっているのだから。

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2010年3月15日 (月)

中世と千年王国

教皇が皇帝の上に位置している中世の原理の中に、サタンを抑えつけるという千年王国の本質があるのではないだろうか。近世の初め、その発展としての近代の中に、なにか人が神のようになるという蛇の誘惑への受諾があったのではないか。
カトリックへの改宗者にとって、中世は無視できないだろう。その時、古い中世への回帰を志向するよりも、新しい中世を求める方がよいと思う。中世回帰か、それとも中世創造か、このあたりの誤解が、遠藤周作と吉満義彦との対話の中にあったかも知れない。
歴史的中世とは文明の総合であった。近世とは、その解体、分解の過程であった。新しき中世とは、再び、歴史的中世の目指した総合志向である。そんな目で、現代日本を眺めれば、その第一人者は、創価学会の池田大作氏であるかも知れない。
池田氏が、世界の著名人と対話を重ねていることは、大いに評価できることである。しかし、これは日蓮の教えに沿っているのだろうか。なぜなら、日蓮の教えの排他的性格は、むしろ原理主義的に思えるからである。そんな思いも感じている。

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2010年1月29日 (金)

大きな物語

大きな物語を考えよう。その中に、個々の現実を組み入れよう。新しき中世も、そんな大きな物語の一つではないだろうか。

中世とは何か。歴史的中世は、ユダヤ、ローマ、ギリシャの総合であった。新しき中世は、その総合の中に、インドを入れなければならない。そう考えれば、カトリックの神父さんたちで、仏教研究家は多いが、知らず知らずに、この物語を作っているのかも知れない。

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2009年10月26日 (月)

なぜ中世か

このブログの名前に中世という言葉がある。それは日本の中世ではない。西洋の中世である。今も、なお、追求すべき目標である。もちろん、それは歴史的中世ではない。しかし、歴史的中世と無関係でもない。だから、「新しき中世」である。では歴史的中世の中で、なお将来に待ち望むべき要素は何か。遠藤周作は『文学と想像力』の中で、中世を、こう描いている。

「中世は少なくとも地上の地上をこえたもの、人間の世界と永遠と世界、自然世界と超自然の世界とが交流し、対話していた時代なのである。人々は地上に生きることによって永遠につながっていたし、この現実を通して現実をこえたものをながめてえたのである。つまりキリスト教がこの二つの領域の橋わたしをやってくれたのだ。それは中世の教会をみれば私たちにはっきりわかるのである。どっしりと大地に根をおろした教会は、人間の地上における努力、人間の地上における営みをしめしている。しかもこの努力や営みは地上の尖塔を通して、空にむいているのである。永遠の世界につながっているのである。このように地上と天上との対話こそが中世の理想だった」

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2009年5月 8日 (金)

暗黒の中世

中世の 暗黒は何故 死を覚え
 排除の生を 拒否したからか

近世の 明るさは何故 死を排し
 人の限界 忘れた中に

生と死の 共在文化 その中に
 ポストモダンの モデルはあると

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