2009年3月 9日 (月)

老病

老病の 時を迎えて コペル君
 いかに生きるか ご教示のほど

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』の主人公はコペル君といった。私は小学生の時に読んだが、今も、名著と思っている。ところで、「いかに生きるか」という問いは、人生にとって大切な問いである。今の、私の回答は、自己実現である。それを数独の中で教えられた。
宇宙の完成は、それぞれの自己実現を前提にしているのである。そして、私の自己実現は、他者の自己実現を誘発し、達成する。その可能性がある。その自己は、それぞれが違うのであり、私の「自己」を他者の目標には出来ない。
その自己実現の方法が、数独を解く中で、いろいろと教えられてくる。このパズルは宗教的、仏教的な思想を湛えているように、私には思われる。

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老いの日々

還暦後 日はすぐ過ぎて しまうけど
 天がける日の 期待ふくらむ

世に残す もの考えよ 初老人
 自分探しは 愛をヒントに

ゆっくりと 老いゆけよ我 急ぐなよ
 遺産を何に するか考え

老い進み 若さ失せども なお望む
 老いに美学を 結びつけんと

老いゆけば 障害多し 不自由で
 老いの終わりを 願うも道理

高齢者 死を前にして 生きる人
 絶壁に立ち 奈落を見ずに

なぜ見ない 見れば平衡 感覚が
 なくなり遂に 落ち込むだろう

その通り なのだが救い その中に
 絶対他力 はからい捨てて

老病の 家住みにくく 超越に
 心向けるは よきしるしなり

老いもまた 自然の国の 自然なり
 自然の価値に うなだるるのみ

老いるとは ゆっくりと死ぬ ことなのだ
 死ぬ喜びを 日々知るために

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2008年7月 8日 (火)

老病

老病に 囲まれる我 祈るのみ 
 生に意味あり 祈りの中に

老病の 克服めざす 人多し
祈りを捨てて 解決はなし

祈りにて 大船に乗る 死を渡る
 悲しみはなく 神と共なり

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2008年6月13日 (金)

引退の利益

 私は引退あるいは隠遁に魅せられてきた人間である。生涯、ケーニヒスベルグから一歩も外にでなかったカント、独身のまま研究生活を続けたニュートン、レンズ磨きで生計をたてていたスピノザ、また灯台守にも魅力を感じていたアインシュタインなど、隠遁に憧れ、実際、そのような環境で大をなした人は多いのである。南原繁も「屋根裏の哲人」と呼ばれていた。
 さて、内村の文章に次のようなのがある。それは引退、隠遁の利益を示して、キリスト信者の感動を呼ぶ。
「隠退の快楽は神と語る事比較的多くして人と語る事比較的少きことにあり、時代的事実に接すること少くして永久的真理を学ぶこと多きにあり、表面的交際を避けて誠実の友とのみ交はり得るにあり、此等の快楽ありて吾人は隠退の利益あるを知って、その損失あるを知らず」
 亀井勝一郎氏は、この言葉に一種の寂寥感を覚えているが、これは内村の負け惜しみではなく、本心であろう。この言葉によって人生の晩年も明るくなる。神の友となって、人は晩年を恐れるに及ばず、かえって大いなる快楽のあるを知り、希望のうちに晩年を迎えることができる。

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2008年5月 1日 (木)

老い

老年期 一人二人と 去りゆくが
 寂しさはなし 主が共にいて

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夕闇

何もせず 気づいた時は もう遅い
 静かに暮れる 夕闇を身に

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2008年4月29日 (火)

老病

老病も 絶対無への 道しるべ
 十字架比べ 不幸も軽し

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2008年4月17日 (木)

高齢者の生

高齢者 この世引退 使命どこ
 あの世目当てに 生きられるなら

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あと何年

この世には あと何年か 思うたび
 日々遺言書く 思いで生きる

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2007年8月17日 (金)

老いる

老いるとは ゆっくりと死ぬ ことなのだ
 だからサヨナラ 日々書き続け

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